No. 1666

枯れかけた仕事への意欲
息を吹き返したきっかけは

(北海道YH/20代男性/会社員) 

呉服店に就職して、3年目。店舗での接客に加え、営業の電話入れなどもしています。何件も連絡する中では、時に邪険に扱われたり、ガチャン!と切られることも。そのたびに、私の気持ちは乱れました。腹が立つだけでなく、「自分は人の役に立っているのか…」と考え込んでしまうのです。否定的な感覚は深まる一方で、心が枯れてしまいそうでした。 

欠けていたことに気付けると

勉強会では、「仕事は奉仕の心で」と学びます。それって、こういうときはどうしたら? つかみたいと祈願し、家族とも話していた、ある時。ふと、後輩の接客が目に入りました。親子で意見が対立したお客さまに、自身の経験を交えながら、丁寧に説明しています。相手に“温かい関心”を寄せ、精いっぱい関わっていく姿勢。「真っすぐに人を思う心」が自分には欠けていたと、ハッとしました。そうした心で生きたいと、祈願もより真剣になったのです。 

店舗にも、言葉の強いお客さまが来られます。以前は、私の説明に「それじゃ分からない」などと返されると、いら立ちを押し殺して対応。それが祈願していると、「不慣れな店先で、心配もあるだろう」と相手を思う心が枯れません。自然と「ご不安な点は…」という言葉も出てきます。相手を思う心が膨らむほど、言動にのまれることが減りました。営業の電話入れも、「少しでも役に立つ情報を届けよう」と気持ちが切り替わっていったのです。 

寄り添って味わった大きな喜び

少し前のことです。成人式に向けて、好みがはっきりしている娘さんと、不安そうなお母さまが来店。お話を伺う中で、「娘の思いは分かるが、予算が心配」というお母さまの気持ちが見えてきました。お二人のご希望を踏まえて振り袖を提案。さらに、できるだけ好みに合う小物を探していったのです。双方が納得する装いが見つかって、「成人式が楽しみです!」と笑顔を見せてくださった時は、この上なくうれしかったです。「このために頑張っていたんだ!」と、晴れ晴れとした気持ちになりました。 

神の教えを“心”に生かして

思えば、以前の私はプライドが高く、人と触れること自体を避けていました。けれど神の教えを学んでいく中で、自然と「人との関わり」に思いが向いて、今ではそれが楽しいです。家族や、職場の方々の支えも見えて、あらためて感謝も深まりました。教えに生きれば、まだまだ“心”は磨ける。その予感に、ワクワクしています。

「教え」を学び
   奉仕の心を神に求めて 祈願する
 自然と 感謝の思いが引き出され
     万人・万物との縁が生まれる
 その縁を生かすため
    ますます「教え」を
      人生の支えに生きる
            努力を重ねる
 家庭で 学校で 会社で 地域で
    人々と正しく関わり
          生きがいが持てる
仕事は 奉仕の心で
      人々との縁を深めるほど
    互いの運命は重なり
          大きな成果を生む

令和6年9月15日 『友輪』343号6ページ