No. 1618

母とは対照的な性格の私
少しずつでも確かに前進!

(宮城県MS/60代女性/無職) 

97歳になる母は、とにかく明るい人。常に前向きで、打たれ強く、嫌なこともすぐ忘れてしまいます。苦労の多かった分、人への愛情が深い母。東日本大震災で家を流され、仮設住宅の生活でも、みんなに愛されていました。私にとっては、まさに「お手本」です。 

一方、私は…母とは対照的。気が弱くて、気にしやすく、すぐに引いてしまいます。自分は何も言えないくせに、心の中では「それって、おかしくない?」と責めたり、求め過ぎたり…。相手の気持ちを会話で確かめるなんてもっての外。勝手に、「気が強そうで怖い」「怒ってるみたい」「ぐいぐい来られて苦手」などと決め付け、避けて。人とちゃんと向き合うことから逃げてきたのです。 

長引いた病が大きな転機に

20年前、卵巣がんが見つかり、手術。無事に終えたものの、回復が悪く、歩きづらくなってしまいました。心の中は、「早く仕事に復帰して、手術代を取り戻さないと」といった欲心だけでした。結局、入院生活は、6カ月もの長期に。しかし、それが、自分の生き方に気付く転機となったのです。 

毎日病室で、教会図書『生命の歩み』を、線を引きながら何度も何度も読みました。「こんなに神に教えていただいていたのに、何一つできてなかった…」。猛省と感謝の思いが入り交じり、胸がいっぱいに。また、お見舞いに来てくれた知人たちとの触れ合いから、人の情けが染み入りました。「人に愛をかけてもらえるのは、こんなにもありがたいことなんだ」と、深く心に残ったのです。母が神示教会に出会った時、心に強く響いたという十教訓。「私も、ここから始めよう」。そう決意しました。 

性格の修正を神に願うと…

祈願も変わりました。それまでは、「痛みが取れますように」「時間に間に合いますように」と、御利益ばかり求めていましたが、自分の性格を見詰め、課題を修正するために祈願。母をお手本に、何かあったとしても打たれ強く。心を閉ざさず、相手の気持ちが明るくなるように、自分から触れていきたい。そう願っていたら、気まずく感じた人にも、笑顔で話し掛けていけました。苦手な人を見掛けると、さっと隠れていた私が、です。自然と、人間関係がどんどん滑らかになり、人と触れることに喜びを感じられるまでになりました。 

行きつ戻りつ、母を目指して

そうして、自分の性格をしっかり見詰め、向き合い続けて20年。時には、心の弱さが芽を出すこともあります。でも、「もっと上を目指して成長しなさい」と神から教えられていると思うのです。心を磨き、高め続けていけるように、一つのハードルを越えると、次はこれに…と課題が出されている気持ちです。そうやって、少しずつ、心を変えてくることができました。 

先日、母が転倒して、肋骨(ろっこつ)を3本も骨折。突然始まった介護生活。周りからは「大変でしょう」と言われましたが、嫌と感じることは一度もなく、母と二人で笑いがいっぱいの毎日でした。治療に2カ月はかかると言われたのに、何と3週間で治ってしまいました。やっぱり母はすごいです。 

出掛けるときに「行ってくるね」と言うと、寒い玄関まで見送りに来てくれる母。「頑張って行ってこうな」と言われると、心がぽかぽか温かくなります。人生は有限。だからこそ、今、母といられる時間を大切に。大好きな母の生き方を受け継げるように…。少しずつでも、母に近づいている私を見てもらいたいと思う毎日です。 

「真理」に生きる家庭に
   人間の実体(こころ)は磨かれ
 「正道」をゆく存在(ひと)と
             成って行く
ますます 運命の力が引き出され
  多くの出会いに支えられる人生が
               始まる
人々(ひと)との出会いに
           悩むことなく
 欲心に人生(こころ)
      振り回されることもなく
 常に「運命」の力を社会に奉仕し
   良き因を「心の道」に残してゆく

『真実の光・神示 令和5年版』85ページ