(宮城県SH/60代女性/主婦)
自分の意に沿わない反応が返ってきた途端、「この人、無理。関わりたくない」。そうして、自ら距離を取ってしまう私でした。
それは、夫に対しても…。親思いで、子煩悩で、仕事熱心。はたから見れば、良くできた夫です。なのに、どうしても好きになれません。私の発した言葉が気に入らないと、顔つきが変わり、口を閉ざしてしまうところが嫌。「何がいけないのか、はっきり言ってよ!!」常に不満があり、悶々(もんもん)としていました。
変わる転機が訪れた!
仕事と子育てに追われ、心がいっぱいいっぱいの中、夫が単身赴任で家を離れることに。いなくなってせいせいする…かと思いきや、押し寄せたのは不安と寂しさ。夫が、私にとっていかに“大事な人”かを、初めて痛感したのです。
そんな心の変化に呼応するかのように訪れた、大転機。一人暮らしの兄が緊急入院し、夫が家に戻ってきたのです。命が危ぶまれる兄に付きっきりの私。代わりに、父と夫が何度も偉光会館へ救いを求めに行ってくれました。本気で兄を心配してくれている。その優しさに触れるにつれ、夫への不満がきれいに流れて…。そこに湧いてきたのは、“本当の夫婦になりたい”という気持ちでした。
自分から話してみたら…
真剣に教えを学び始めると、今までは通り過ぎていたことがどんどん心に入り、ハッとすることの連続でした。夫婦は支え合うものなのに、夫を責めるだけで、関わろうとしなかった…。それなら、自分から話し掛けていこう。やるべきことが明確になったのです。
「こんなことがあってね」。私の話をよく聞いてくれるので会話が広がり、「本当に優しいな」「家族を大切に思ってくれている」などと、夫の良いところがたくさん見えてきます。いつしか“関わりたくない”から“関わりたい”へと、気持ちが180度変わっていったのです。
「このくらい自分で決めたって…」ということも、まずは夫に話してから。すると、何でもスムーズにいくのが不思議です。特に顕著に表れたのは、親子関係。食事を終えても部屋に戻らず、いつまでも家族のだんらんが続くほど、子供との仲も良くなったのです。
広く、大きな愛の心を育んで
心臓の難病で一命を取り留めた兄は、十数年たった今も元気です。先日、兄に付き添って病院に行った時、医師が言いました。「どうしてこんなに良くなったのでしょう」。信者であることを知る医師は、「神様のおかげかな」とも。
不満だらけだった毎日が、今では「ありがたいな」と感謝ばかりが湧いてきます。家族にも、周りの人にも、自分から声を掛けられて、「ありがとう」もごく自然に。私はもう、人を責めて、距離を取ってばかりの人生ではありません。「もっと人に関わりたい」思いがあふれてきます。広く、大きな愛の心を育んで、相手から「“この人と関わりたい”と思われる人に」。目指す姿に向かって前進しています。
悔いなき人生 手にする極意を求めて
「教え」に触れる
自然と
あるべき家庭の姿(基本)が
見えてきて
家族と関わる思い(愛情)が芽吹く
「教え」で触れ合う家庭を
つくる努力をする
家族の会話が増えて
情をかけ 互いに関わり 支え合う
心(愛情)が育つ
人間は
「教え」を学び 実体を高めるほどに
「真実の愛」に生きられる
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』92ページ(中略あり)