(大分県YS/20代女性/看護師)
大分から羽田へ向かう飛行機の中、ドラマの一場面のようなアナウンスが流れました。「急病人です。医師、看護師の方はいませんか」。私は看護師です。でも、とても消極的で、混乱の中、手など挙げられないタイプ。ところが、気付いたら、患者さんのそばに駆け寄っていたのです。
親に厳しい目を向けていた自分
とっさに、人のために動けたのは、神の教えで生きることを家族中で意識してきたおかげ。そんな私の一番の変化は、親への思いです。
少し前の私は、親に対して上から目線。神の教えに当てはめて、「全然親らしくないじゃん」と母を非難していたのです。子供っぽいし、愚痴も平気で言う。家族のことを人に自慢するところも、恥ずかしくて嫌でした。そんなある日、偉光会館の職員と話している時、「お母さんは、家族が大好きなんですね。いつも皆さんのことをうれしそうに話してくれますよ」と言われ、ハッとしたのです。それから、「うちのおかん、純粋でかわいいやん」。見方が変わり、好きと思えるように。同時に、「母らしくない」とかみつく私の方が、よほど子供らしくなかったと気付けました。
見えてきた「正しい関わり」
父母は、そろって心配性。最悪のシナリオを想定しては、「危ない所は行かないで」「帰りが遅くなるから、習い事はやめなさい」。何度うっとうしいと感じたことか。でも、ふと思ったのです。「心配させる私に原因はなかったか」と。「子供は、親が安心するように、何でも話すこと」。神の教えには繰り返し出てきますが、心配されるのが面倒で、黙って出掛けることも。それが、どれほど気をもませていたか知れません。
親の心を思い、「危ない所には行かないから安心して」「仕事の後、ホットヨガに寄ってくるから、帰りは何時ごろになりそう」「心配だと思うけど、こう考えて動いてるから大丈夫だよ」などと、自分から関わっていきました。帰宅すると、その日の出来事などを、自然と話しています。今では、親と話す時間が何よりの楽しみに変わりました。
人間関係が広がっていく喜び
職場でも、「怖そう」「怒られそう」と感じると、言葉をのみ込んでしまっていた私。その弱点も乗り越えることができ、自ら積極的に、報告も相談もしています。患者さんに対しても、優しく声を掛けたり、話を聞いたり。最近は、「あなたがいると、うれしい」「安心する」などと言われるまでになりました。家族から、「人を和ませるのが上手」と言われた良さを、看護の現場で役立たせることができている自信も持ててきました。
消極的。人との関わりが苦手。そんなだった私が、人間関係が広がっていく喜びを味わえている大奇跡。神の教えで変われることが、うれしくてたまりません。これからも、教えを軸に生きていけるよう、家族みんなで意識し合っていきます。
家族で「教え」を学び
「真理」で家族と関わる努力を
家族でする
自然と 家族の心は重なり
会話が増えてゆく
運命に導かれた心の動きが取れて
和心育つ家庭となって行く
同時に 奉仕の心が引き出され
多くの人々(ひと)との出会いが
育まれ 生かされる
(令和6年6月23日 信者心の基勉強会 仕事編『友輪』342号14ページ)