No. 1566

全然違う物事の見え方
真理で生きる価値を実感

(岡山県KK/60代女性/主婦) 

本来の私は、自分の意に沿わないことがあると、がっくり落ち込むタイプ。思いも寄らないことが起これば、慌てふためく心配性。そんな私の心を強くしてくれたのは、神の教え。それに気付いたのは、長年勤めた病院を退職する日のことでした。 

不思議と見える「良いところ」

病院という職場は、医師が急に往診に出たり、行き場のない患者さんを受け入れたりすることが日常茶飯事。現場のスタッフはてんやわんや。看護師仲間の反応は、「分かってないよね」「相談もなく、何て勝手な」。悪口までが飛び交います。しかし、私には、何と「いつも患者さん第一で、すごいな」そう映るのです。 

もちろん、「えっ!?」と思うこともあります。でも、祈願していると、落ち込む心も責める心も不思議と消えて、良いところが見えてくるのです。ズバッとした言葉の端々に、スタッフへの配慮を感じたり、「患者さんのために…」という心が伝わってきたり。ですから、先生が何をしようとしているのか、看護師にどう動いてほしいのかを察して行動することを心掛けました。 

どんな人との関係も滑らかに

また、無口で無表情で、みんなから「難しい」と評判の医師。忙しく動き回っているからと思うと、「怖い」ではなく、自然と感謝が湧いてきます。その心が伝わるのか、ニコッと笑顔が返ってくるように。「髪を切ったんですね。似合っていますよ」なんて言ってもらったこともありました。 

ある当番医の日に、二人で70人近い人を診察した時は、「先生が検査しやすいように」ということだけを考え、必死で動きました。休憩はなし。お昼も立ったまま。そんな中、先生に言われた「ありがとうございます」が、どれほどうれしかったことか。神の教えは人間関係を滑らかにするもの。教えを軸に触れていけば、誰が相手でも、どんな環境でも、絶対に大丈夫。いつしか、確かな自信が生まれました。 

ありがたいことに、周りの人たちからは、「あなたは何か違う」「あなたと話すと癒やされる」「私もあなたみたいに、周りの言動にのまれない心になりたい」と言われるように。次第にみんなの不満が減り、職場の雰囲気が温かく変わったのです。 

感謝と感動に包まれた退職 

そうしてことし、退職の日を迎えました。いろいろなことがあったけれど、全てが神と乗り越えた良い思い出です。医師も含め、職員の皆さんが、「ありがとう」「お世話になりました」「元気で」と見送ってくれて、感動でいっぱいでした。 

その上、後日、院長から送られてきた給料明細書に、手紙が添えられていたのです。いつもの付箋紙とは違う、きれいな便箋で…。これまで、「お母さんなら大丈夫」「よう頑張っとる」と支え続けてくれた夫にも、早速報告。夫に「それは、お母さんの生き方やったんやろう」と言ってもらい、喜びが倍増しました。手紙は、今も大事に大事にしています。 

本来の自分なら、周りと一緒になって不満を募らせたり、ひどく傷ついたりしていたでしょう。それが、こんな仕合せな気持ちで職場を後にできたことに、感謝しかありません。「少しは自分の存在を生かせたかな」という手応えを胸に、ますます人との縁を大切にしていきます。 

「心」で生きる人間は
 「心(思い)」豊かに広がるほどに
   働く「心(意欲)」も
          芽吹いてゆくもの
感謝の思いが縁を深め
  奉仕に生きんとする心を育ててゆく
真の意欲は
   縁ある人の心も豊かにするゆえ
  時(時代)流れても
     「生きる」楽しさ
        出会い通して味わえる

『真実の光・神示 平成20年版』154ページ(中略あり)