(神奈川県AI/60代女性/主婦)
「腫れ物に触るような感覚」。これが、私の家族への接し方。長女が高校生の時に、「ママは、全然褒めてくれなかった」と言ってきました。とても勉強のできる子だったので、「もっと、もっと」という思いだったのです。一切反発しなかった子が、小学校高学年の頃から急に反抗的になり、中学生の頃には「自分の道を行く」という感じに。怖くて、我が子なのに「腫れ物」になっていきました。
「大好きよ」「大切に思っている」と、自分の思いを伝えられず、ただ、悪いことをした…と己を責めるばかりの私。それは、夫に対しても同じです。いつも顔色をうかがっては、ビクビク。神の教えで何度も聞いている「何でも話せる、心の休まる和のある家庭」とは、程遠い姿でした。
少しの会話でも変化が
長女は、社会人になって数年後、うつになり、会社に行けなくなりました。夫婦で教務相談に入り、帰りの車中で、初めてゆっくり話しました。かつて、夫が信者になったのは、仕事でうつになったことがきっかけ。実は私も、勤めている時にうつになり、教会と縁を頂いたのです。そんな過去をぽつぽつ話すと、夫は、「そうだったんだ」と優しく受け止めてくれ、自分の思いを夫に届けられた感覚を味わったのです。不思議なことに、帰宅すると、それまで部屋から出ず、ご飯も食べなかった長女が、「パパの作った料理が食べたい」と言い出しました。
繰り返し我が家を襲う心の病
とはいえ、長年の家族との関わりは、そう簡単には変えられません。やがて結婚した長女は、今度は産後うつになり、実家に戻ってきたのです。様子が分からない夫は、いつもイライラ。1年ほどたったことしの春、ようやく長女が自宅へ戻ることになったものの、今度はお婿さんがうつになってしまったのです。しかし、それが、私の大きな転機につながりました。
夫の本当の姿に気付いて
お婿さんから事情を聞いた夫が発したのは、「無理だったら、またうちに来ていいんだよ」という温かい言葉…。
この時、「夫は、本当はとても家族思いで、心の広い人なんだ」と、心底感じたのです。それなのに、自分が何も言えないのを夫のせいにして、心の中で責めてきた。「私が、間違っていた」。その日から私は、「何でも話をして、夫を頼れる妻になりたい」と祈願しながら、触れ合うようになりました。
家族のうつにも寄り添って
長女は、家族旅行を計画してくれるほど、回復。次女もうつになったものの、今の私は、夫に「きょうはこんな様子だったよ」「こんなこと言ってた」など、何でも伝えているので、安心感が違います。時には厳しい表情もされるけど、「よくやってくれたな」と、優しい言葉が返ってきて、家族をしっかり見て、支えてくれていると感じます。しかも、夫に相談すると、何でも良い方向にまとまっていくのです。
だからこそ、私は妻として、母としての役割を果たそうと、次女の心にもとことん寄り添っています。先日、次女から、「会社で落ち込むこともあるけど、家に帰ればパパとママがいてほっとする」「ママは、何を言っても動じず、どーんとしてくれてて、うれしい」と言ってもらえました。
腫れ物のようにしか家族に関われなかった私は、もういません。思えば、立て続けに襲ってきた家族のうつも、人生を根こそぎ好転させる機会となっています。まだまだ細い幹ですが、もっと神の教えを学び、かわいい妻となって、夫と温かい関係を築いていきます。夫婦が強くつながって、本物の「心の休まる我が家」を二人で目指します。
「教え」が家族の心をつなぎ
会話のある家庭へと導いてゆく
「教え」に生きる家庭には
夫婦の会話
心(思い)の交流がある
自然と家族の気持ちもゆったり流れ
互いに声を掛け合い
「運命」の力に導かれて
「生きる」人が
育まれてゆく
『真実の光・神示 平成29年版』30ページ(中略あり)