(横浜市YS/50代女性/主婦)
昔は大好きだったはずなのに、母のことが「嫌い」。会うたびに父の不満を聞かされ、会いに行かないと、その不満を周囲に愚痴り、急いで訪ねれば、「生きてたの」と皮肉のような発言。ストレスの矛先は私に向かい、感情のままのきつい言葉に傷つきました。やがて父が入院すると、大変なことや重要な判断は私に丸投げ。そんな母のことは「嫌い」を通り越して、「本当に許せない」。消したくても消えない感情でした。
初めて見えてきた「あるもの」
神の教えで「家族仲良く」と学ぶたび、余計に苦しくなる私の心。その頃、入院中の父が言いました。「お母さんをよろしくね」。このストレートな言葉に、父はどんな思いを込めたのだろう。そんなことを考えながら母を見ていると、これまで見えなかった「あるもの」が見えてきたのです。
勘違いしながら何かを頑張ったり、早とちりして失敗したり…、天然で妹気質な母の姿。「意外とかわいいな」と思いました。そして、気付いたのです。私は、自分の中で「完璧な母親像」をつくり、勝手に母に当てはめていたことに。その結果、人様の短所は受け入れられても、母の短所は少しも受け入れられない、「狭く小さな心」を自分でつくっていたのです。
葛藤する心を祈願でさらけ出す
それから間もなく、父が他界。その後、母は膠原(こうげん)病になり、さらに認知機能も低下。介護サービスを頼りながら、お世話のために、夫と実家に通う日々が始まりました。
洗濯機の使い方が分からなくなり、冷蔵庫に用意した手料理も捨ててしまう母。責める気持ちが出てきました。でも、本当は、「いつまでも元気でいてね」という気持ちでいたいのです…。その心を枯らしたくなくて、祈願、祈願の毎日でした。
心底から湧き上がった感謝
ある時、私の成長をいつも手放しで喜んでくれた母の姿を、ふと思い出しました。私が結婚する時は、資金の足しに…と、アルバイトを必死で頑張ってくれたこと。その話をすると、「そうだっけ?」という反応でしたが、「あの時はありがとう」と伝えたら、普段表情のない母が、とってもいい笑顔を見せてくれました。
今、二人で歩くときはくっついて、手をつないで…。「○○がないの」と言われ、「大丈夫だよ」「忘れちゃったんだね」とにっこり返すと、母もふっと笑います。その笑顔を見るたびに増す、いとおしさ。「昔、ああ言われた」「こうされた」という思いばかりが残っていたはずなのに、そんな感情はストンと消え、親に真っすぐな感謝を持てていることが奇跡です。神の助けがなければ、絶対にできなかったことです。
私の変化と連動して母も…
私の心が穏やかだと、母も元気になるのが不思議でなりません。持病やコロナで命の危機に直面しても、毎回復活。お医者さんに何度も驚かれています。何より、あれだけ激しかった気性が、看護師やヘルパーさんに「かわいくて癒やされる」と言ってもらえるほど変わりました。きっとこれが、本来持っている母の気質なのでしょう。
「母は命を頂いている」と感謝が深まる日々。だからこそ、一日一日を大切に。母にたくさんの「ありがとう」を伝えることが、私の目標です。
人間は 「真理」に悟りを得たとき
自然と家族を愛し
感謝の思いを深めるもの(存在)
「真理」が家族の心を一つに重ね
「真実の愛」を身に付け
生きる人を育む
『真実の光・神示 令和2年版』48ページ