No. 1443

人生を枯らしかねなかった
「自分が上」という自信
(香川県MI/20代男性/会社員)

「人よりも自分の方が上」という感覚は、子供の頃からありました。デザイン会社に就職した今も、人の作品を見ては、「この部分があかんな」と、見下すような気持ちがふっと湧き上がってくるのです。 

そんな中、一人の先輩だけは私の作品をズバズバと指摘。しかも、「少し位置がズレている」などと、やけに細かい部分を突いてきます。「そうですね」と答えつつ、内心ムッとしました。「こんな細かい所、ズームしないと誰も分からんやろ」と。 

家族に打ち明けたことが転機に

こうなってくると、先輩のやることなすこと全てが悪に見えて、仕事がやりにくかったです。もともと私は、家では仕事の悩みを話さないタイプ。ただ、この時ばかりは両親に相談しました。具体的なアドバイスをくれたわけではなかったのですが、「気持ちを受け止めてくれた」。この感覚を味わえたことが、大きかったです。 

自分は、人の気持ちを受け止めてきただろうか? そもそも、「人に関わる」ことをしてこなかったのではないか? 「友輝会」に出席する中で、より鮮明に見えてきたことがありました。 

「自分の方が上」という自信があるから、人にばかにされたくないし、指摘されたくもない。その感覚の根底にあったのは、本当は「自信のなさ」だったのです。自信がないからこそ、常に誰かと比べて「僕の方が上」と、自分を保っていました。

弱さを払拭できた「関わり方」

そんな弱い心を払拭する突破口も、「友輝会」でつかめました。先輩のことを、「人の気持ちも考えずにズバズバ言う人」と思い込まずに、後輩らしく、「教えてください」の気持ちで関わっていくことにしたのです。「この先輩は、相手を傷つけようとしているんじゃない。人一倍仕事への情熱がある人だ」と気付いた頃、先輩が私の作品を褒めてくれました。「頑張った部分を認めて、自信を持たせてくれる先輩」。そう見方が変わる感動を味わったのです。 

それからは、指摘されても不思議と反発心が出ず、一人では気付けないところを教えてもらった感覚です。自分の考えを伝えると、否定せずにちゃんと理解してもらえるし、良い関係になれたことがうれしくてたまりません。 

20代の今、気付けた喜び

ことし、後輩が入ってきました。昔だったら、「自分の方が上」「ばかにされたくない」という気持ちがバリバリ出たと思います。それが、自分のことより、相手に興味が湧いてくるのです。「この人の長所は何かな?」「この人の作品の良い所はどこかな?」と…。 

最近、強く思うのは、人を見下すような心のままで30歳、40歳と、ずるずるいってしまわなくてよかった…ということです。嫌われて、見放されて、孤独になって…、そうなる「前」に軌道修正していける、神の教えの素晴らしさを今、体感しています。 

我が「運命」 その力を信じてごらん
 人と比べる心の配慮はいらぬ
 ただただ我が「運命」の力を信じて
            世に奉仕する
 人を励まし 人の心を受け止め
     共に「人生」を歩むのである
 そこに 皆の「運命」は光り輝き
     「生きる」楽しさを味わえる

『真実の光・神示 平成24年版』100ページ