子供の頃から完璧主義だった私は、自分の思ったとおりに物事を成し遂げるよう、努力してきました。弱音を吐くなど、もっての外。そんな性格が裏目に出て、3年前、適応障害になってしまいました。膨大な仕事量に、不満はたまる一方。助けを求めたくてもプライドが邪魔をして伝えられず、頑張り続けた結果、体が限界を超えたのです。7カ月の療養後、復職し、もう絶対に無理はしないと決めたのに、また体調不良に…。体も心も限界を感じ、転職して実家に帰ることにしました。
放置していた心に気付くと
温かく迎えてくれた両親に、初めは感謝していました。ところが、だんだんイライラが増えていきます。「もっとこうしてよ」と思ってしまうのです。ただ、そのときに、「また責める心が出た」とも思えるようになっていました。実家にあった教会図書。家でも神の教えを学び始めたことで、長い間放置したままだった、悪い心の動きが見えるようになったのです。
「愛ある心の実践」と学んでも、人に求める気持ちが強い私には、正直言って難しかったです。でも、めげずに教えを学んで気付きました。「自分が人に支えられていた」ことに。
両親は、「家にいるんだから動きなさいよ」などと言わず、私の体調をよく見て、気遣ってくれます。前の職場でも、大変そうな状況を察して、周りの方々がいろいろ声を掛けてくれていました。人に頼れない私の性格を踏まえた上で、みんなが愛をかけてくれていたことに、やっと気付いたのです。
人に求める前に、自分は…?
それなのに、人を責めてばかりだったなんて、恥ずかしくて申し訳ない気持ちになりました。相手が「やってくれないこと」に目を向けるのではなく、「やってくれたこと」を見つけていこうと、見方も変わっていきました。
それに、人に求める割に、私自身は、相手を気遣う言葉を意外と使っていませんでした。だから、家族を褒めたり、職場でも、「今、これが大変じゃないですか?」「何かあったら言ってください」などと声を掛けたり。「話し掛けやすい人」を目指している最中です。
神が私に下さった喜び
気が付くと、今、適応障害の症状は全く出ていません。今の仕事もとても忙しいのに、楽しくて、ちっとも苦にならないのです。責める心もほとんど出なくなりました。
人に求めるだけだった私が、3年かけて、「相手が求めているものに合わせていこう。もっと愛をかけたい」と思うようになったことが奇跡です。純粋な愛をかけてくださる神のお力によって、愛の心で生きる喜びを味わっています。
――人との出会いを重ね 人は生きてゆく――
出会いを生かせた者は 生きがい多い人生を手にし
出会いを生かせぬ者は 迷い多い人生となる
出会いを広げ 深めゆく者は 心に愛がある
感謝 感動に心あふれ 多くの縁を引き寄せるのである
――人との出会いを重ね
人は生きてゆく――
出会いを生かせた者は
生きがい多い人生を手にし
出会いを生かせぬ者は
迷い多い人生となる
出会いを広げ 深めゆく者は
心に愛がある
感謝 感動に心あふれ
多くの縁を引き寄せるのである
『真実の光・神示 平成17年版』83ページ