夫は、毎日農作業に精を出し、おいしい!と家族に喜んでもらうのが生きがいです。ただ一つ、問題がありました。隣の畑の地主さんとの関係です。自分の所に水を入れるために、勝手に水路を止めるなど、近隣とのトラブルが尽きない人なのです。
その方は、ご主人を亡くして一人暮らし。「争いを避けるには、関わらないのが一番」と思い、私も、バッタリ会っても作り笑顔でやり過ごしてきました。
心によぎった小さな気付き
ある日、その方の畑の石垣が、うちの畑の方に崩れてきました。勝手に直すわけにもいかず、夫が仕方なく地主さんの所へ…。
しばらくして、カンカンになって帰ってきました。どうやら、相手は「誰が直すかい!」とすごい剣幕だった様子。結局、夫が石垣を修理することになり、「そういう態度だから、誰からも嫌われるんよ」と思ってしまいました。後日、その方に会った時、「先日は主人がごめんなさいね」と丁重に謝りつつ、内心では「あなたも悪いけどね」。ただ、その時、「いくら口では柔らかく言っても、心でガンガン責めれば『争っている』のと同じかも…?」と、今までにない思いが心をよぎったのです。
自分が修正する決意
『友輝26』を開くと、「共存する姿勢に人生が生きる」という言葉が心に残りました。その方も一人暮らしで寂しい思いをされているだろうに、今の私は、相手の悪いところだけ見て、心の中で対立。全くもって心が狭いと反省した次第です。
しかも、そうした生き方の積み重ねが、やがて子孫の人生に悪影響を与える仕組みも分かりました。「自分にも欠けたところが幾つもある」と思えたこの時、自分を修正する決意がしっかり芽生えたのです。
夫と、「相手を嫌う心って、目には見えなくても伝わるよね。度量深く、大きく受け止めたいね」「ほうよの」と話していた数日後、不思議なことがありました。その方が家に訪ねて来たのです。身構えた私に、「直してくれてありがとう。すみませんでした」と、驚きの一言でした。
クルッと帰ろうとしたので、とっさに「わざわざ、ありがとうございました」と伝えました。心の底からそう思ったから。どれだけ勇気が要る行動だっただろう…と察せられたのです。
全てと共存する生き方へ…
今、その方と、何のわだかまりもなく挨拶でき、縁が深まった思いです。心が晴れ晴れして、夫の手伝いも進みます。共存は、無理して歩み寄らずとも、「相手の心」に目を向ければ、自然とかなう姿でした。
夫は、「虫やすずめの食べた後を、人間が頂いたらいい」という考えで、無農薬で栽培していますが、それも、自然との共存。夫への尊敬心が増しています。人は誰とも共存していく存在であることを、神の教えから学ぶことができました。
「教え」に生きて 「人生」は 生きがい多いもの(時代)となる
神示に触れるほど 「心」にゆとりを引き出し 言葉や態度が優しく流れる
その時 人は 「運命」が導く人生を歩み 「実体」を修正してゆく
「教え」が皆の心を豊かにする
「心」穏やかに ゆったりと流れ 人 物との出会いも深まってゆく
「教え」に生きて
「人生」は
生きがい多いもの(時代)となる
神示に触れるほど
「心」にゆとりを引き出し
言葉や態度が優しく流れる
その時
人は 「運命」が導く人生を歩み
「実体」を修正してゆく
「教え」が皆の心を豊かにする
「心」穏やかに ゆったりと流れ
人 物との出会いも深まってゆく
『真実の光・神示 平成30年版』187ページ(中略あり)