生まれた時から信者でしたが、神示教会は、「家族と出掛ける場所」くらいの感覚でした。自分たち家族が神に守られていることは感じつつ、信じる気持ちにどこか迷いがあったのも事実です。それがガラッと変わったのは、今年の2月。祖母が亡くなり、玉納奉寿(教会葬儀)で送ったことがきっかけでした。
「思い」を込めて贈る言葉を
もっといろんな話をしたかった。もっと一緒にいたかった…。なかなか気持ちの整理がつきません。でも、儀式に当たり、祖母に贈る言葉を考えている中で、寂しさよりも「ありがとう」の思いが勝っていく…、そんな不思議を味わったのです。
難病だった祖母は、言葉がだんだん出なくなりましたが、私の話をいつも「笑顔」で受け止めてくれました。料理が上手で、感動屋さん。弱音は一度も吐かず、最後まで精いっぱい生き抜きました。だから私も、下を向かずに、精いっぱい生きていこう。祖母がつないでくれた命だから…という思いが込み上げてきました。
そんな思いを儀式で祖母の魂に届け、家族も受け止めてくれて、「みんなが自分を大切にしてくれている」。そうした感謝まで湧いてきました。儀式を通して、親戚との縁も深まり、玉納奉寿が、「寂しい」で終わるお葬式ではないと実感したのです。
生き方の軸を求めて学ぶように
祖母が大好きだった教会。「進んで足を運びたくなる場所」に自然と変わりました。勉強会で学ぶ神の教えは、「相手の気持ちを大切に」など、自分としては意識してきたことです。でも、感覚的だったと思います。「こういう関わり方をすればいいんだ」と瞬時に立ち返ることができる、心強い「軸」が神の教え。「信仰する」という感覚が、自分の中で理解できました。
玉納奉寿の後、神に心を守られていることを全身で感じます。人生に良い流れが生まれ始めたことも、実感しています。だから、もっと神の教えを学びたくなってきたのが、今の気持ちです。
――「教え」を「心(人生)」の支えに生きる――
悔いなき人生 手にする極意と申す
「教え」を学び 「真理」に生きて 家族 縁者と 出会いを深める信者を目指す
終日迎えたその時に 家族・縁者の愛(情け)を受け 思いを深める皆であれ
――「教え」を
「心(人生)」の支えに
生きる――
悔いなき人生
手にする極意と申す
「教え」を学び 「真理」に生きて
家族 縁者と 出会いを深める
信者を目指す
終日迎えたその時に
家族・縁者の愛(情け)を受け
思いを深める皆であれ
『真実の光・神示 令和3年版』131ページ