私の父は、普通の94歳とは違います。スーパー94歳です。毎日車を運転し、細い道も平気で通ります。何かあったらいけないので、免許を返納してほしいと思っていました。心配事はそれだけではありません。一人で田んぼを耕し、畑で野菜を育てています。「この作業は危険だからしないでね」と頼んでも、一人でしてしまうのです。おまけに買い物が趣味で、大量の食材と、ひ孫用のお菓子を買ってきます。「食べきれんから」と言うと、怒り出して大変です。
「分かってほしい」の前に…
どうしたら父に分かってもらえるか、悩みに悩んで、教務相談に行きました。職員は、「心配なのは、お父さんを大切に思っておられるからですよね」と言いながら、「お父さんは、どんな気持ちでされてるんでしょうね…」とひと言。そう言えば、そこのところを深く考えたことはありませんでした。
父は早くに妻を亡くし、何もかも一人でこなしながら、神の館にも人を誘って熱心に通っていました。「父は周りに尽くす人。田んぼも買い物も、家族のためにしてくれている。尊い心遣いだな」と、ふと感じたのです。たくさん買い物をすることも、「お店をあちこち回って買ってきてくれて、こっちが養ってもらってるくらいだな」と目頭が熱くなってきました。「父に分かってもらおう」とする前に、「自分が父を分かろうとする」。少し心の向きが変わっただけで、何とも温かい気持ちが湧いてきたのです。
心のゆとりが生み出されて
神の教えは、私に「心のゆとり」をくれます。妻と教会図書の読み合わせを始めたら、それを体感しました。
「父は何でも一人でやるから、こっちも自分でやればいい」と思っていた農作業も、「父はどうしたいかな?」とふっと頭によぎるのです。「今度、この作業するから、準備しといてくれる?」と頼むと、張り切って用意してくれます。結果的に父と2人で作業できて楽しく、しかも安心です。
私が留守にしているときは、妻が「きょうは田んぼに行っとったよ」などと父の様子を教えてくれて、ありがたいです。そうした妻の気遣いを感じ取れるゆとりも、持ててきたのかもしれません。
父に、「夜はあんまり運転せんといてな。心配やから」と伝えたら、「分かった」と、本当に約束を守ってくれています。家族の顔を見ると込み上げてくる「仕合せ」という感慨。神のご守護以外ないと思う日々です。
――「人生」尊きものなり
限りある時(人生)を どう生きるか――
気付き深めし者なれば 尊き人生 「愛」の真理に生きんとする
「心」神に預け 「人生」歩むなら 人は皆 一生通して 「愛の真理」に生きられる
時代の流れに心と体も調和して 楽しき人生歩み抜ける
――「人生」尊きものなり
限りある時(人生)を
どう生きるか――
気付き深めし者なれば
尊き人生
「愛」の真理に生きんとする
「心」神に預け 「人生」歩むなら
人は皆 一生通して
「愛の真理」に生きられる
時代の流れに心と体も調和して
楽しき人生歩み抜ける
『真実の光・神示 平成20年版』72ページ(中略あり)