数年前、仕事のトラブルで裁判沙汰となり、全ての信用を失いました。妻とも離婚。私は生きる希望をなくし、人との関わりを避けるようになりました。神示教会にも一切行かなくなったのです。
どうしたらいいか自分でも全く分かりませんでした。その中でただ一人、声を掛けてくれる人がいました。その方は、神示教会の係で、何かにつけて手紙をくれ、勉強会に誘ってくれます。こんなに思い続けてくれる人がいる、その温かさに私の心は突き動かされ、もう一度教会に行ってみようと決心しました。それが今年の1月です。
「裏切られた人生」の答え
数年ぶりのご神前。祈願していたら、涙が止まりませんでした。教会図書を購入し、家に帰って夢中で読みました。
「信頼していたのになぜ裏切られたのか」その答えが神の教えにありました。私は、「裏切られるような生き方」を無意識にしてきたのです。面倒な仕事は見て見ぬふりをし、「誰かがやればいい」と何でも人任せでした。
「ああいう心はまずかったな」という反省から、「もう二度と同じことをくり返してはいけない」と強く思うようになり、祈願、祈願の日々が始まりました。私は整備の仕事をしていますが、トイレの詰まりなどは、誰もやりたがらない作業です。でも、それは自分にできることなので、見て見ぬふりはやめました。
何と表現すればいいのか…。自分が動いた後に言われる「ありがとう」がすごく、すごくうれしいのです。「こんなに夜遅くまで」「暑い中ありがとう」と冷たいジュースをもらったりすると、その気持ちがありがたくて、胸がいっぱいになります。
独りぼっちだったはずが…
毎朝、6時に祈願してから出勤すると、気持ちが全然違います。朝からニコニコ仕事ができて、神に守られていると実感できるのです。その証拠に、知り合いから「前はブスッとしてたのに、変わったな。俺も笑顔でいなきゃな」と言ってもらいました。
見て見ぬふりをしても、別に何とも思わなかった自分が、その「ふり」ができなくなって、ついつい「やっておこうか」と声を掛けてしまいます。そうすると、相手からも「あれ、やっておいたよ」と言われることが増え、本当にありがたいです。
ついこの前まで独りぼっちだった人生に、人とのつながりが戻ってきて、それと連動するかのように、この数年抱き続けてきた「裏切られた悔しさ」が消えています。前は何をやってもうまくいかなかったのに、とにかく物事がスムーズに進むし、何かあっても、全く落ち込まなくなりました。まさかこんな人生になるとは…。残りの人生、もっと人と関わって役に立ちたい。自分のやれることをしたい。心からそう思う私がいます。
神の教えを学び 心(人生)の姿に映せたとき
人は誰も 我が「人生」に自信を持ち 「道」欠く心の動きは取らぬもの
神の教えを心(人生)の支えに 「生きる」努力をする
自然と心は落ち着いて 奉仕心に「生きる」思いが芽吹き始める
奉仕に生きるとき 人の心(運命)は輝き始め 生きがいを感じる仕事に出会える
神の教えを学び
心(人生)の姿に映せたとき
人は誰も
我が「人生」に自信を持ち
「道」欠く心の動きは
取らぬもの
神の教えを心(人生)の支えに
「生きる」努力をする
自然と心は落ち着いて
奉仕心に「生きる」思いが
芽吹き始める
奉仕に生きるとき
人の心(運命)は輝き始め
生きがいを感じる仕事に出会える
『真実の光・神示 平成29年版』101ページ(中略あり)