No. 897

無理に頑張らなくても
「いつもの短気」が消えた
(山梨県TM/60代男性/無職)

短気の自覚は大いにありました。テレビを見ているときに、家族にうろちょろされたり、「お茶飲む?」と声を掛けられたりするともう駄目。「見えねえじゃねえか!」「後にしてくれ!」と怒鳴り散らしていました。それを悪いと思っていないわけではありません。ただ、「自分はそういう性分だから仕方ない」と諦めていたのです。

神の館で得られた気付き

そんなわけで、妻に誘われて勉強会に出席しても、大して真剣に聞いていませんでした。ある日、食堂でラーメンを注文したところ、チャーシューがたくさん盛られていました。「間違えてしまいましたが、よろしかったら召し上がってください」と言われ、「それなら普通のと交換してくれたらいいのに!」と、またいつもの短気がムクムク出てきたのです。

その後、教務相談で職員に言われた「学び不足」というフレーズが、妙に心に入ってきました。その言葉に激高しなかったのは、短気な性格を、本心ではどうにかしたいと思っていたからでしょう。その日を境に、教会図書を読むようになったのです。

神示で顧みた有限の人生

自分がこの世に生を受けた理由。「天地四方の調和の姿、有限を悟るため」という神示が目に留まりました。「調和」も「有限」も意識せず、人として命を頂いた感謝もなく、粗末に生きてきた人生。散々妻を泣かせてきた分、生きている間に変わらないと…と猛省した次第です。

とはいえ、70年近くも染み付いてきた性分をそう簡単に直せません。取りあえず、よくよく祈願して、妻の話を最後まで聞くことから始めてみました。「それは違うじゃないか」「俺は分かってる」をやめて、「そうか、おまえはそう思うんだな」。そのキャッチボールは、テレビを見るより楽しいことに気付いたのです。妻に「コーヒー飲む?」と聞かれ、飲みたくないときは「少ししたら飲むよ」。我慢しているわけでもない、「調和」の感覚が心地いいです。

自他共に認める大変化

うれしいのは、最近、息子が以前にも増して話し掛けてくることです。好きな音楽の話をしてくれるので、「そうか、そうか。今はそういうのがはやっているんか」と、教えてもらえる喜びを感じています。いつの間にか、「いつもの短気」が顔を出さなくなってきました。

実はこの変化、ここ数カ月の話です。周りからすれば、「冗談じゃない?」くらいの変わりようらしく、自分でもすごいことだと思います。求めれば必ず救ってくださる、神の力の大きさを感じずにはいられません。

妻より

確かに夫は、今までからは考えられないほど変わりました。「自分から」神の教えを学ぶようになったのが大きいようです。夫婦の会話が続くようになり、私とは違う捉え方から、良い刺激をもらうことも少なくありません。私の課題は、「こうしてほしい」と夫に求める思いが出てしまうこと。八十路を迎えた時、春のような温かい夫婦でいられるよう、私も一緒にもうひと頑張り…と思っています。

「教え」を家族で学び 「教え」を家庭で実践
 家族の心は重なり始め 会話も増える
 互いに愛情が芽生え 深まり 神の手の中 守られる実感を味わう
「教え」に気付きと悟りを得る人は皆
    「実体」を自ら修正し
      「運命」の力に頼って「生きる」 人生の基本を体験してゆく

「教え」を家族で学び
    「教え」を家庭で実践
 家族の心は重なり始め 会話も増える
 互いに愛情が芽生え 深まり
    神の手の中
      守られる実感を味わう
「教え」に気付きと悟りを得る人は皆
  「実体」を自ら修正し
   「運命」の力に頼って「生きる」
     人生の基本を体験してゆく

『真実の光・神示 令和2年版』97ページ(中略あり)