短気で人の話を聞けない自分。家族を愛せない自分。嫌われ者の自分。どれも全て過去の私。沖縄に神の館を頂いて1年がたち、心が大きく成長できました。
神の教えで見えた「自分の姿」
恥ずかしい話ですが、私の人生、あまり勉強をしてこなかったので、読めない漢字が多く、理解力も高くないです。でも、神示はとても素晴らしいです。何回も何回も読んでいると心が洗われ、清められ、生きる希望までみなぎってくるのです。
私の学びの始まりは、信者仲間がくれた教会図書からです。読んだ後、頭をハンマーで「があん」と殴られたような衝撃を受けました。子供たちの仕合せを願って信者になったけれど、自分が我が子に仕合せを残す生き方をしていないと悟ったからです。
「にっこり」で過ごす日々に
学べば学ぶほど、我の強さが山のように見えました。「何げない言葉で人を傷つけている」と気付きも引き出され、言葉遣いをとても意識するようにもなったのです。
少しずつ自分が変わっていく実感があり、その証拠に、会話の少なかった息子たちが、何かと相談してくれるようになりました。家の中に「ありがとう」が増え、職場の方にも「あなたは縁の下の力持ちだね。ありがとう」と言っていただきました。神の教えを知らなければ、「ありがとう」も「縁の下の力持ち」も、私の人生ではもらえない言葉だったと思います。
今は相手の言動が強くても、怒ることもなく、素直に話を聞けて自分でもビックリです。それに、いろいろな場面で「たくさんの人に助けられている」と感謝が出てきて、だから自分も役に立ちたいと思うのです。これは、教えを学ぶまでは分からなかった感覚です。
雨の日も晴れの日も、いろいろ悩みがあっても、神の館に行くときの私の顔はニッコリです。偉光会館に着いたら、神殿でゆっくり神にご挨拶をします。勉強会で学んでいると、「あれも、これも、全部そうだ」と心にじわじわ染みてきます。だから、私はもっともっと変われるものと思います。「この地に神の力(運命)が宿り、『教え』が信者の心(人生)に気付きを引き出す」。開所式の神示どおりの体験をしています。
心(運命実体)で「生きる」人間は
神示「真理」を心(人生)の支えに「生きる」ところに
実体は修正され 運命に重なる「人生」を歩み抜ける
神魂の力が宿る「偉光会館」で 「教え」に触れるほど 心に「悟り」が深まってゆく
教会に出入りし 「教え」を学び深めるほど
家族は 互いに 運命を重ね 心一つにまとまってゆく
心(運命実体)で「生きる」人間は
神示「真理」を心(人生)の支えに
「生きる」ところに
実体は修正され
運命に重なる「人生」を
歩み抜ける
神魂の力が宿る「偉光会館」で
「教え」に触れるほど
心に「悟り」が深まってゆく
教会に出入りし
「教え」を学び深めるほど
家族は 互いに 運命を重ね
心一つにまとまってゆく
『真実の光・神示 令和2年版』80ページ(中略あり)