やっとの思いで夫を病院に連れていくと、肝臓がんも末期との診断。「あと何年…」と恐る恐る聞く私に、「年単位ではなく、2、3カ月です」と言われ、目の前が真っ白になりました。その上、夫は、「もうどうでもいい。病院も行かない」と言い出したのです。「できる治療は、受けさせてもらおうよ」と、いくら言っても拒否。「なぜこんな時まで頑固なの」と、責める心まで出てしまいました。
夫婦の関わりが変わったら…
どうすればよいのか分からず、神の館へ。そこで気付いたのは、お互いを理解するための関わりの大切さでした。私たちは、恥ずかしがり屋で口下手同士。とにかく話さない夫婦で、結婚当初から隣にいても一人でいるような寂しさを抱えてきました。それは、「夫も同じ」はず。そこに気付き、夫が最期まで寂しがらず、大満足できるように、精いっぱい愛をかけていこうと思いました。治療を受けさせるのが目標の時は、不安で仕方なかった心が、夫のためにできる限りのことをしようと目標を切り替えた時、すっと楽になりました。
無口な夫からは、何と話し掛けても、相変わらず返事はありません。それでも、私の目標は、「自分が」夫に尽くすこと。「痛い」という足を、「つらいよね」と言いながらさすったり、好きなアイスを食べたそうな時に出したり…。どんな小さな会話も、どんな短い言葉でも、気持ちを察して行動すると、自然とその場が優しさに包まれるのが分かりました。
愛は必ず返ると実感した日々
そうこうするうち、出掛けた夫から、「おめさ、これ買ってきたから…」と、鉢植えのプレゼント。結婚以来初めてで、照れくさそうな顔に愛を感じて、最高にうれしかったです。私も、愛の心を言葉に乗せて伝えました。「お父さんと少しでも長くいたい。大切な大切な、たった一人の人だから…」と。すると、「もう少し生きていようかな」と、治療を受ける気になったのです。愛は必ず返ることを実感しました。
入院した後、私は病室に通い続けました。「気持ちいいだろう」とタオルで顔を拭いた時の笑顔。両手でほっぺを優しく包み込んだ時のぬくもり。どれも忘れることはできません。
ある日、「お父さん、私と一緒になって、よかった?」と聞くと、照れながら、「まんず、まんず(まあまあよかったかな)」と。私にとっては、夫からもらった最高の愛語でした。
神の守りで安らかな最期が
医師の言葉どおり、3カ月で夫は心の世界に旅立ちました。明魂祭で神の使い人による御魂送りをしていただけて、安心感でいっぱいでした。娘たちも、「お父さんは、お母さんと一緒になれて、本当に仕合せだったと思うよ」と言ってくれました。こんな口下手でも、神の教えがあったから、悔いのない最期が迎えられたと、ただただ感謝が込み上げてきます。
「教え」を家族で学び 日々の生活に生かすほど
信者の心(人生)は安定し 運命が導く人生が歩める
「まこと・人の終日(みち)」手にするために 「教え」を心の支えに 人生歩むべし
「教え」を家族で学び
日々の生活に生かすほど
信者の心(人生)は安定し
運命が導く人生が歩める
「まこと・人の終日(みち)」
手にするために
「教え」を心の支えに
人生歩むべし
『真実の光・神示 平成29年版』116ページ