「親の会」に出席して、変わったことがあります。それは、自分の受け止め方です。
思い描いていた仕合せへの道
何にも楽しくない私の日常。仕事から帰ると、座る時間もなく、夕食の支度。その横で、夫と2人の子供はスマホいじり。「こんなにやってあげてるのに…。私はお手伝いさんなの?」。いら立ちと悔しさで、心はいっぱいいっぱいでした。いっそ一人で暮らせたなら、どんなに仕合せだろう…と本気で思っていたのです。
「親の会」に出席したのは、この頃です。私自身は、母として、妻としての役割を果たしている自負がありました。しかし、神は「どんな心でするかが大切」とお教えくださいます。もやもやしている「心」では、仕合せにつながらない。それだけははっきり分かりました。
私が一番に向き合うべき存在
特に、そのもやもやは夫に向いていました。多忙な夫を「協力してくれない」と責め続けてきた私を、子供たちはどんな「心」で見ていただろう? これまで考えもしなかった視点が生まれてきたのです。
「親の会」で学んだことを、まず夫に実践してみました。挨拶は、目を見て笑顔で。会話は、まず「そうなんだ」と受け止める。やってみるとすがすがしく、「優しい心」の自分に出会えた気がしました。これまでずっと、「子供と接することが子育て」と思ってきましたが、夫婦が仲良くすることも、大切な「子育て」。私の背中を子供が見ている…とあらためて実感し、身が引き締まる思いがしたのです。
子供の思いに目を向けて
「親の会」で、「子供には子供の運命がある」と学んだ時、目からウロコが落ちた思いでした。子供にも「心」があるのに、自分に合わせようとして、重ならないことに寂しさを感じている…。「家族が私を孤独にしている」のではなく、「私が自ら孤独な方に歩んでいた」のです。
夕方になると、大声で「きょうのご飯何~」と言う子供たち。あんなに面倒だった食事作りも、「おいしい物を食べてほしいな」と、自然と考えるようになりました。さらに、「頼ってくれてありがたいな」と、私の「心」が動きます。「こんなことを言ってくれるのはあと何回だろう。今が仕合せ」と思うのです。夫からは「妻」という立場を、子供からは「母」という立場をもらっている。「親の会」で学び始めて、そう思うようになりました。「一人になることが仕合せではない」と気付かせてくれた神の教えに感謝です。
「教え」を学び 「真理」に生きる努力を欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで 「分」に重なる「心」を求めて 祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい 会話も深まる
和のある家庭環境が いかに「人生」を守るか 「人生の真理」を悟るべし
「教え」に悟りを深めることで
「和のある家庭」の姿(真実)を 家族の心は開眼(かいげん)してゆく
「教え」を学び
「真理」に生きる努力を
欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで
「分」に重なる「心」を求めて
祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい
会話も深まる
和のある家庭環境が
いかに「人生」を守るか
「人生の真理」を悟るべし
「教え」に悟りを深めることで
「和のある家庭」の姿(真実)を
家族の心は
開眼(かいげん)してゆく
『真実の光・神示 令和3年版』115ページ(中略あり)