子供の頃から信者だった私は、親が誘うから教会に行き、親がしているから祈願。特に抵抗はありませんでしたが、だからといってその価値も感じていませんでした。
最後に神の館へ行ってみると
高校生になると、信者でない友達を見て、「私だってなりたくて信者になったわけじゃない。親が勝手にそうさせた」と思うようになりました。「だから信者辞める」。その思いを母に伝え、最後に職員に挨拶を…と教会に行った日。この日が、私の人生の転機になりました。
神殿で簡単に祈願を終えた後、隣で手を合わせている母の横顔を見ました。お母さんはどんな思いで、赤ちゃんだった私を信者にしたのだろう…。「きっと神の教えを学んで成長して、仕合せになってほしい…と願ったのでは?」と、ふと思ったのです。
祈願を終えた母に伝えました。「私、辞めないわ。どう自分が変われるか、もう少し続けてみる」。自分でも不思議ですが、なぜかコロッと気持ちが変わったのです。
小さな実践が大きな喜びに
我が家には「教会の十教訓」が貼ってあります。ちゃんと読んでみると、家族と仲良くすることや、人と調和する大切さが書いてあり、スッと心に入ってきました。
私の家族は母、兄、弟。特に兄弟とは、「おはよう」の挨拶すら適当でしたが、ちゃんとするようにしたら、ちゃんと返ってきて、心地よく感じました。職場でもそうです。休憩中などにたわいない会話を意識するだけで、「あなたってこんな人だったのね!」と盛り上がったりするのです。仕事中、メモでやりとりしていた人から、直接声を掛けてもらえるようになったのもうれしかったです。「人の心のぬくもり」。神が、そこに気付かせてくださったのだと感謝しました。
不思議の数々を体験して
周りの人がいるから、自分も楽しく生きられる。神の教えを学ぶようになって、「生かされている」感覚が初めて持てました。人と比べてばかりいた性格も、「逆に相手の良さがたくさん見える…という長所になる」と思うと、自信に変わっています。
「何となく」から、「自発的に」教えを学ぶようになって、たくさんのうれしい不思議を味わっています。そんな話を母にすると、うれしそうに聞いてくれます。信者としてようやくスタートした私の学びは、「仕合せな人生を…」という母の思いを感じながら、一生続いていきます。
※この方のお母さまの「喜びの声」も、併せてご覧ください。
家族との出会いに気付きを得て 人は実体を高めてゆける
「教え」を学び 「真理」で家族に触れる努力を重ねる
自然と会話が増えて 深まり 心(感情)も穏やかでいられる
後は 自ら「真理」に悟りを得て 出会いに生かす努力をする
多くの人との出会いに「心(人生)」を支えられ 生きがい多い人生を歩んでゆける
家族との出会いに気付きを得て
人は実体を高めてゆける
「教え」を学び
「真理」で家族に触れる
努力を重ねる
自然と会話が増えて 深まり
心(感情)も穏やかでいられる
後は 自ら「真理」に悟りを得て
出会いに生かす努力をする
多くの人との出会いに
「心(人生)」を支えられ
生きがい多い人生を歩んでゆける
『真実の光・神示 令和2年版』65ページ(中略あり)