戦中生まれの私は、生後すぐに受けた予防接種の後遺症で左目を失明。翌年に父が戦死し、母子家庭で育ちました。就職活動では、片目が見えないこと、父親がいないこと。ただそれだけを理由に、何社も落とされました。四面楚歌(そか)のような人生が悔しく、やけを起こしていたのです。
神と出会ったものの…
ようやく仕事が決まり、その後、結婚。はたから見れば平穏な人生だったかもしれません。でも、私の心の奥底にある悔しさが消えることはありませんでした。40歳を過ぎた頃、知人から神示教会のことを聞き、信者となりました。
神の教えを学ぶことは好きでした。でも、今思えば好きなだけで、生き方に取り入れることもせず、時ばかりが流れたように思います。70歳目前になったある日、運転中に道路がゆがんで見えました。眼科に行くと、「今の医学では治せない病。失明するのを待つだけ」と言われたのです。
「四つの心」を意識すると
神示が読めなくなる。大好きな運転もできなくなる。また悔しさが込み上げました。失意の中で受けた教務相談で、「神の教えで生き方を180度変える」という話を聞きました。そんな中で出会った神示が、本当に私の未来を180度変えたのです。
「『四つの心』守れたときに、人の心は丸く丸く豊かになるもの」。「神」「仏」「人」「自分」。それぞれに向けるべき心がある…と知った衝撃は、今も忘れられません。「神」や「仏」への感謝。周りの「人」と互助して生きる思い。「自分」の力を役立てようとする気持ち。私はどの心も持てていないと悟ったのです。
でも、「神示どおりに生きれば、人生が開ける」とも思いました。「素直に生きていきたい」と祈願し、家族に苦しい思いを打ち明けて…。心が軽くなった時に、ふと感じました。70年も頑張ってくれた私の右目。「ここまでよう持ってくれたね」と、感謝が込み上げてきたのです。
乗り越えた失明の危機
その後、診察に行くと、「治療の設備が整っている病院があるので」と思いがけず、紹介状を頂きました。そこで診ていただいたところ、何と「今、手術すれば、視力と視界を維持できますよ」と言われ、手術を受けることがかなったのです。
毎日、自分の目で神示が読めます。孫の子守ができます。「動ける体と見える目を使って、もっとお役に立ちたい」という心が生まれ、交通指導員もしています。あれほど感じていた、人生への「悔しさ」は、いつの間にか「いとおしさ」に変わりました。今、私の心を満たしている思いは、「感謝」です。
悲しみ 苦しみ 「心」迷うときでも 「教え」を心の支えに生きるなら
人は 運命の力に「心(人生)」支えられて 夢枯れることがない
「生きる」気持ちの強さが持てた人は 心に「教え」が生きている
人間は 「教え」に生きるほど 心に夢が湧き上がり 運命に重なる人生を歩むもの(存在)
神が人々に教える真の「健康」とは
「運命」の力を世(社会)に奉仕して
社会を「正道」へと導かんとする心(救世心)にある
悲しみ 苦しみ 「心」迷うときでも
「教え」を心の支えに生きるなら
人は 運命の力に
「心(人生)」支えられて
夢枯れることがない
「生きる」気持ちの強さが持てた人は
心に「教え」が生きている
人間は 「教え」に生きるほど
心に夢が湧き上がり
運命に重なる人生を
歩むもの(存在)
神が人々に教える真の「健康」とは
「運命」の力を
世(社会)に奉仕して
社会を「正道」へと導かんとする
心(救世心)にある
『真実の光・神示 令和2年版』67ページ(中略あり)