数年前、息子の事業の経営が悪化。見ていられずに、老後の資金を渡しました。後からそれを知った娘は大激怒。単独で決断したことを謝ったものの、それ以来、私たち親子は、ギクシャクしてしまったのです。
「一回読めば分かる」ではなく
夫を見送り、87歳で独居の身です。寂しさばかりが募ります。「同じことが書いてある」と捉え違いし、「一回読めば分かる」と思っていた教会図書。それを手に取り、繰り返し、繰り返し読み始めました。
娘にも、息子にも、分け隔てなく注いできたはずの愛情。困っていると聞けば金銭を援助し、「こうしなさい」と助言し…。でも、私は、「あなたたちは大事な存在」という「親の思い」を全く「言葉」にしてこなかったことに気付いたのです。
「愛ある言葉を掛けられる自分になりたい」「子供と正しく関わりたい」と、祈願する日々が始まりました。ある時、娘に電話すると、「何?」と素っ気ない態度。「声が聞きたくて…」。ふっと言葉が出てきました。自分でも驚きましたが、間違いなく私の本心です。すると、娘が「きょうは仕事が忙しくて、疲れたんだ」と甘えるように言ったのです。初めてのことで、その声がいとおしくて、「お疲れさん。大変やな。頑張ってるな」と伝えました。
それからというもの、娘は「元気なうちに連れていってあげる」と、旅行をプレゼントしてくれたり、「お母さんには仕合せでおってほしい」と言ってくれたりします。「言葉」を通して伝わる娘の優しさに、胸がいっぱいになるのです。
幾つになっても心は成長する
息子は、何かにつけ我が家に顔を出し、電球の交換などを手際よくやってくれます。「助かったわあ」。言葉にするから伝わる感謝の思い。それだけでなく、「仕事、頑張ってるね」「それはしんどかったね」などと、子供の「心」を感じながら、会話できるようになってきたのです。
神の教えは、1回学んだだけでは分からなくて、何回も何回も…。そうすることで、赤子が言葉を覚えるように、少しずつ心に染みてくるものとようやくつかめました。人様のお世話になる年代の私ですが、「生きている間は、家族に愛をかけ続けたい」という心は枯れません。私がいなくなった後も、娘と息子が助け合っていけるように、今、心を使っていくことが親の任と思い、神の教えを学んでいます。
「教え」を学び 「真理」に生きる努力を欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで 「分」に重なる「心」を求めて 祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい 会話も深まる
和のある家庭環境が いかに「人生」を守るか 「人生の真理」を悟るべし
「教え」を学び
「真理」に生きる努力を
欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで
「分」に重なる「心」を求めて
祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい
会話も深まる
和のある家庭環境が
いかに「人生」を守るか
「人生の真理」を悟るべし
『真実の光・神示 令和3年版』115ページ(中略あり)