No. 693

障害があっても輝ける!
最高の人生を送った夫
(神奈川県YE/60代女性/主婦)

いつもと変わらない一日が始まったように感じていた私に、夫の入院先から危篤の知らせが…。

夫は、家族に見守られる中、安心しきった穏やかな表情を浮かべて旅立ちました。「人生に何一つ悔いを残してほしくない。大好きだった教会で送りたい」という家族の願いもかない、最高の最期でした。

明るい人柄に引かれて

夫との出会いは、40年ほど前。手に軽度の障害があった私は、内にこもりがちでした。一方、夫は、私より障害が重く、先天的に耳が聞こえません。それなのに底抜けに明るく、命を下さった神への感謝も厚い人で、「何てすごい人なんだろう」と、その人柄に引かれたのです。取り越し苦労をしやすい私を、「大丈夫だよ」と励ましてくれたり、冗談を言って笑わせてくれたり。優しく包み込んでくれる夫のおかげで、心が明るくなっていきました。

耳の聞こえない夫とのコミュニケーションは、互いの口の動きを読み、身振り手振りを交えながらの会話や表情でした。時間はかかっても、気持ちが伝わるまで会話することで、二人の思いはしっかりと重なっていったのです夫は、家族仲良く、人との縁を大切にと、いつも教えを実践。おかげで、三人の子供と楽しく暮らし、義母から継いだ食堂も多くの方々に親しまれ、仕合せな毎日を送れました。

みんなに愛される生き方を

夫が料理人となったのは、調理師だった父親の影響です。声が聞こえない中での修業は過酷でも、「父親に調理師となった自分を見てもらいたい」と頑張ったそうです。

店では、お客さまを常に笑顔で迎え、言葉は交わせないのに、持ち前の明るさから不思議とコミュニケーションが取れてしまうのです。障害者の間でも、「ここに来ると明るくなれる」と評判に。食べたいと要望された物を作っては喜ばれ、やりがいを持って生き生きと仕事に励んでいました。

親子の愛情は深まるばかり

家では、子供との時間をつくり、愛情を注ぐ優しい父親でした。「ハンディに負けないように」と厳しく育てられた夫は、そこには親の深い愛があったと感じていたのです。親に愛されたからこそ、自分も「子供のためにできることは何でもしたい」が口癖。子供にも慕われる最高の父でした。

10年前、夫が腎臓がんを発症した時、子供たちは言いました。「今度は、私たちが愛を返す番。みんなで支えるね」。温かい励ましをもらって、男泣きでした。がんを克服後も、いくつかの病を患いましたが、そのたびに親子の愛情は深まるばかり。それが夫の生きる力となり、「自分の料理でみんなを喜ばせたい」と前向きに治療に臨み、最後まで希望を持ち続けられたのです。

夫の思いは家族の心に

夫を送る玉納奉寿では、家族で思いを語りました。「いつも僕たちを愛し、父親像を背中で示してくれてありがとう。自分もお父さんのような父親になります」「いつか店を復活させて遺志を受け継ぎたい」。親の思い、愛、生き方が子供たちにしっかりとつながっている姿に、夫もどれほど喜び、安心していることでしょう。

障害があっても、自分の良さを生かし、多くの人々に喜ばれ、輝く人生を歩みきった夫。明るく、愛があふれていた夫から、たくさんの勇気をもらいました。私もその生き方を継いで、明るい心で毎日を過ごしていくことを誓います。

神示で確認 「喜び」の仕組み

「教え」で触れ合う家庭をつくる努力をする
 家族の会話が増えて 情をかけ 互いに関わり 支え合う心(愛情)が育つ
人間は 「教え」を学び 実体を高めるほどに 「真実の愛」に生きられる
 秋の時(時代)を迎え 「人生」を振り返る時
    悔いなき日々に 光り輝く我が「人生の歩み」がつづられている

『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』92ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

「教え」で触れ合う家庭をつくる
    努力をする
 家族の会話が増えて
    情をかけ 互いに関わり
      支え合う心(愛情)が育つ
人間は
  「教え」を学び
    実体を高めるほどに
      「真実の愛」に生きられる
 秋の時(時代)を迎え
      「人生」を振り返る時
  悔いなき日々に
    光り輝く我が「人生の歩み」が
      つづられている

『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』92ページ(中略あり)