No. 541

心の動きが人生を決める!
歩いた道に残す最高の足跡
(愛知県SM/60代女性/主婦)

13年前、娘を事故で亡くしました。玉納奉寿(教会葬儀)で誓いました。「娘の魂は、同じ血のつながりの中でまた生まれくる。その時は、もっと仕合せな人生を歩めるように、夫婦でその土壌をつくろう」と。神の教えで心を磨き、最上の生き方を残すという、生きる目的が持てたのです。

何も悪くない! 謝れない私

現実は甘くありませんでした。私も夫も、家庭の不和が絶えない家系で育った者同士。どうしても仲良くできないのです。

夫は短気で、私は「ごめん」が言えない人間。車で旅行した時、「土産を買う時間が長い」と夫が怒り、一人取り残された私は、電車で帰りました。その時も「待たせてごめんなさい」とは言えず、「あなたの親戚のお土産を買ってたんじゃない!」と夫を責めました。こんなことが日常茶飯事で、いつしか「別れたっていい」「その方が楽」と思うようになっていました。

違っていたのは自分だった

「人の世の中、心で回る」この神示を何度も繰り返し耳にし、気持ちが変わり始めました。嫌い、別れたい、許せない…。一つ一つの「心」の積み重ねが、私の人生を、夫婦の人生をつくってしまう。そればかりか、娘の次の人生も傷つけてしまう! 「心を変えたい!」と奮起したのです。

和のある家庭は「夫婦で」築くもの。だから、何があっても二人で学びました。ある時、ふと「夫はなぜ短気を起こすのだろう…」と、夫の視点で考えたのです。引き金となっていたのは、他でもない、ごめん」と言えずに責め立てる私でした…。そこに気付けたのは大きかったです。

まずは夫の話にじっくり耳を傾けること。神に祈願し、心を守っていただく、それを繰り返したのです。「そうじゃなくて、こうでしょ」が口癖だった私が、「そうなのね」と受け止められて、そのうち「ごめん」が言えるようになりました。言わなければ…ではなく、素直に「ごめん」と思う自分になっていくのが不思議でした。

娘に見せる夫婦の姿

少しずつ、夫婦の会話が増えていきました。というより、無口な夫が話し掛けてくれるのです。時には、「ちょっと話が長いな…」と思うほどです。

ある日、夫が「カレー作ろうか?」と声を掛けてくれました。うっかり「きょうはカレーの気分じゃないかも」と言ってしまった私に、夫は「じゃあどうしようか?」。普通の夫婦の会話かもしれませんが、昔の私たちはこれができませんでした。夫が怒り、私も「だったら別々に食べれば!」とキレていたと思います。

最近、夫の心の丸さ、優しさに支えられていると感じます。心を変えられる「祈願」と「神の教え」。そのありがたさを、夫婦で実感する毎日です。娘の魂に、夫と仲良く、笑い合っている姿を届けられることが、何よりの奇跡と感謝しています。

神示で確認 「喜び」の仕組み

神の教え「真理」に重ねて 我が「心の姿」見詰めてごらん
 人(相手)に求める思いが強く 我が「心」正すゆとりに欠ける
祈願通して 「真理」に生きる我が心を願うべし
――人の世の中 「心(運命実体)」で回る――
「悩む」そのときこそ 我が「心の姿」を見詰め直して 正す時
 この繰り返しに 「心の道」を太くする 我が「人生」が育ってゆく

『真実の光・神示 平成23年版』175ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

神の教え「真理」に重ねて
    我が「心の姿」見詰めてごらん
 人(相手)に求める思いが強く
    我が「心」正すゆとりに欠ける
祈願通して
  「真理」に生きる我が心を願うべし
――人の世の中
    「心(運命実体)」で回る――
「悩む」そのときこそ
    我が「心の姿」を
      見詰め直して 正す時
 この繰り返しに
    「心の道」を太くする
      我が「人生」が育ってゆく

『真実の光・神示 平成23年版』175ページ(中略あり)