No. 424

悔いなく見送った夫の最期
家族の絆を強める日々に
(愛知県TF/50代女性/主婦)

1年ほど前、夫が「食道がんのステージⅢ」と診断され、地獄へ突き落とされた思いでした。がんが切除不能だった上に、入院後、重篤な肺炎を起こし、ICUに入りました。筆談ボードに、悲痛な叫びをびっしりとつづる夫…。それでも、何もしてあげられない現実に、苦しくて、泣きながら神に思いを訴え続けたのです。

心一つに励まし続けて

日々、状況が悪化し、医師から告げられる余命が、半年、3カ月とどんどん短くなっていく中、神の教えが一筋の光となって心を照らしてくれました。家族が教えに生きれば、ますますみんなの心が重なる。夫も安心し、治療の成果も上がる。だから、「家族が一丸となって、教えに生きる」今やるべきことはこれだと思いました。

長女は、「お父さんは、あんなに細い体で頑張っている。できることを精いっぱいしてあげたい」と涙を流して言い、長男も、次女も、時間を見つけては見舞い、夫を励ましていました。家では冗談を言って私を笑わせ、「ああ、子供たちにたくさん支えてもらっているなあ」と心から思いました。あれほどつらかった涙が、うれし涙に変わっていったのです。

筆談ボードで愛を伝え合う

家族みんなが強い心でいられるようにと願う中、気付けば、医師からどんなに厳しい説明を聞かされても、しっかり受け止めている自分になっていました。一日でも長く生きることは大事。でも、もっと大事なのは、その一日一日が、どのような日々であるかです。残された時間を大切に、夫の心を愛で埋め尽くしたいと思いました。

ある時、夫とやりとりしている筆談ボードに、思い切って「愛してるぜ」と書いてみました。夫の返事は「おなじ」。照れ屋な夫の愛情が伝わってきて、胸がいっぱいになりました。

病状は、奇跡の連続でした。肺炎や縫合不全で2カ月以上治療ができなかったのに、転移は認められず、痛みもほとんどないのです。何と一般病棟に移るまでに体調が回復していました。

夫の心も、見る見る元気になりました。看護師さんに「よ!」と手を挙げたり、私に「背中かいて。いつもやってくれとるじゃん」と筆談で頼んだり。ボードに軽妙な言葉が増えていきました。家族で大笑いすることもあり、元気な頃と変わらない夫の笑顔がそこにはありました。

笑顔の遺影に感謝の言葉を

病は少しずつ進行し、この頃から夫の体力は落ちていきました。1カ月後には、もうペンを持っても文字は書けず、唯一口にできたゼリーも飲み込めなくなっていました。お別れの時が確かに近づいている…。毎日病院に泊まり、みんなでたくさんの「ありがとう」を伝え続けました。そして、私と子供たちが見守る中、穏やかに旅立ったのです。

闘病中、つらいこともあったものの、家族が心一つに精いっぱい夫を愛し、仕合せな時間を過ごせた事実…。「やりきった」という満足感で、後悔は1ミリもありません。

今、夫の遺影を見ていると、気持ちがほのぼのしてきます。子供たちとも、夫の写真や動画を見て、「感謝だよねえ」と言い合っています。寂しさはあっても、つらさはなく、すがすがしささえ感じるほどです。

夫への感謝を忘れず、家族仲良く、一日一日大切に歩んでまいります。