No. 410

気が付いた!
生き方が変わる大切なこと
(佐賀県IM/60代男性/調理師)

教えを生かせていない自分

私は、8年前から、25人ほどの方が入所している老人ホームで、3人いる調理師の1人として働いています。食事の時間が決まっているので、提供前の検査も含めて時間厳守で調理をしなければなりません。食べ物の硬さや好き嫌い、持病に合わせた献立と、一人一人違うため、提供するのにとても気を使います。

初めは、食事内容を指示する印を覚えるのに苦労しました。同僚も、日がたつにつれて教えてくれなくなり、覚えられない自分を棚に上げて、「教えてくれればいいのに!」と、不満を持ったものです。私は、短気な性格で、調理中、同僚と意見が合わずにイライラすることもありました。神の教えで、周りと調和し、支え合う大切さを学んでも、「この職場では無理」と思っていたのです。

新たな決意を実践すると

それまでも、「神の教えに生きよう」と思ってはいました。それが今年2月ごろ、公式サイトにあった教主の神示解析を目にして、「何があっても教えを実践する!」という、固い決意に変わったのです。そこには、仕合せを手にするには、自分の分、器を知って、持ち前の良さを人のために役立てることが必要不可欠とありました。

以来、教主による神示解析、『友輪』や教会図書をこれまで以上に読み込みました。その中で、がくぜんとした教えがありました。自我強く、相手に求めるばかりで、不満を募らせ、調和や支え合う意識がない。そんな身勝手な生き方では、仕合せになれない。これはまさに、職場での私の姿そのものでした。学んでいるつもりでも、教えが少しも生かせていなかったのです。

自分が変わり、職場が変わった

そう気付くと、相手の欠点しか見えなかった自分が、相手も人間、欠点があって当たり前。お互いさまと受け止められました。また、人任せではなく、まずは自分がやる。できないことは、人にお願いする。そんな自分に変わっていくと、あれほどイライラしていたのが、うそのように、同僚と穏やかに調理できるようになったのです。教えを実行したら、いつの間にか、神が言われる“調和のある職場”になっていました。

神の教えで、60代以降は周りの人を見守る年代と学びました。そこで、本当に必要な時以外、あまり口出しせずにいたら、逆に周りから助言を求められるようになりました。私自身、周りの人の言葉が、「全て自分のために教えてくれている。ありがたい」と思えるのです。今の私の目標は、神の教えに生きて、悔いのない人生だったと言える毎日を歩んでいくことです。