No. 1403

宮城偉光会館の新生!
心も生まれ変わる奇跡が
(宮城県RG/60代女性/主婦)

真夏の暑い日でしたが、澄み切った青空に爽やかな風。「これでまた頑張れる」「前へ踏み出せる」そんな希望が心いっぱいに広がった、平成4年8月17日。宮城偉光会館の開所でした。 

仕合せになりたい一心で

嫁いだ先は、古いしきたりの残る地区。親戚、近所付き合いが多く、若かった私には、とても対応しきれるものではありませんでした。加えて、測量士の夫は、一度出張に出れば何カ月も戻らないのが当たり前。思うようにいかない毎日に、泣いてばかりいました。そのような中での開所。どれほど心強く、ありがたかったか…。 

時間がない中でも、夫と一緒に、偉光会館へ学びに行きました。仕合せになりたくて、二人で一生懸命頑張っていたのです。しかし、やっと授かった長男は、体が弱く、アトピーや小児ぜんそくで、入退院の繰り返しでした。 

夫の「心」に気持ちが向くと…

「夫婦ですがっているのに、どうして?」思い当たったのは、「心が重なってない」こと。結婚当初から、何でも二人で話し合って決めてきたものの、どこかかみ合わないのです。家のこと、親戚付き合い、子育て…「私はこんなに頑張ってるのに、分かってくれない」。無口で感情的にならない夫に対して、そんな思いがいつもありました。 

でも、「夫はどうだったかな?」。仕事が多忙な中、たまに自宅に戻れば、余裕のない妻が気持ちをぶつけてきて、息子は入退院の繰り返し。子供にばかり目が行って、私の方こそ、夫の心を分かろうとしていなかったと気付いたのです。

「ちゃんと向き合って話そう」。神の教えを学び重ねるうちに、そうした軸が心にできました。不思議なことに、息子も回復し、元気に通学できるようになりました。 

本気で教えに生きている?

数年前に、何となく調子が悪く、病院で検査を受けました。すると、不整脈と診断され、即入院。突然死も想定される状況で、絶対安静になってしまったのです。 

駆け付けた夫の顔は、見たこともないくらい悲しそう。でも、不思議と不安にならず、「しっかり治療を受けて、治す!」と、心が前へ、前へ進みました。 

手術を待つ1カ月。病室で『生命の歩み』を毎日読みました。神示はすごいです。読めば読むほど、自分の姿が見えてきます。「感謝が足りなかった」「素直に『ありがとう』って言えてなかった」…。 

「夫婦で学んでいるから大丈夫」とあぐらをかいて、気の強い面があることなどを忘れて生活していました。「人の一生 短きものなり」聞き慣れた神示が、心に深く刺さります。神が教えてくださる正しい生き方。「やってるつもり」でなく、「もっと真剣に」取り組む決意をしたのです。

忙しい合間を縫って来てくれる夫にも、心からの感謝を伝えていきました。そうして迎えた手術前日の検査。薬を強くしても、一向に不整脈が起こりません。医師も首をかしげるばかり。結局、悪い所が分からず、手術は中止になったのです。経過観察の通院でも異常は出ず、2年後、ついに「大丈夫だから、何かあったら来てください」と言われました。今では、薬の処方もなく、普通の暮らしができています。 

私の心も「新生」を

夫は、私が出掛けるとき、車のエンジンをかけておいてくれたり、帰りが遅くなるとお風呂掃除をしておいてくれたりと、本当に優しい気遣いをしてくれる人。そうした一つ一つを当たり前と思わず、心からの感謝を伝えられる自分へと変わりました。子供たちへの接し方も、気の強さが出ないように気を付けています。 

人生にいつも寄り添ってくれる、宮城偉光会館。その新生に重ねて、私の心も確実に新生できました。神に頂いた命です。ここからまた、偉光会館を活用し抜いて、新しい建物のように、心もピカピカに磨き上げていきます。 

この地に 神魂宿りて 早三十一年
信者は
 神の手の中 人生(こころ)守られ
      今日(いま)を迎えている
「実体(こころ)」磨き 高めるほどに
 信者の人生(こころ)は
   神の手の中
      守られ 導かれ 救われる
心に波風 行きつ戻りつ
  悩み多きこの地の実体に
   「人生(こころ)」のまれずに
   仕合せ・幸福な人生を歩み抜ける

令和6年3月10日 宮城偉光会館 新生式(中略あり)