「もう助からない」と仮死状態で生まれた3人目の子供。奇跡的に一命を取り留めたものの、重度の脳性小児まひに。首が据わらないため、50歳になった今も、お座りや寝返りすらできません。
我が子だけが進歩しない
「健常児と同じ生活」それを願う一心で、専門医に従い、運動機能訓練を頑張りました。しかし、頑張っても頑張っても、全く進歩なし。医師には、「この子は障害が重過ぎるから」と言われましたが、それでも朝から夕方まで、一年中訓練にいそしみました。
学校も、送迎、食事、排せつ介助と付き添い、通わせました。友達にも家に遊びに来てもらうなど、とにかく「普通に」生きられるように…。
ある日のことでした。隣で訓練していた子が、電動車椅子の走行ができるようになったので、「すごいね、良かったね」と褒めたところ、息子が後ろから私の背中をたたくのです。振り返ると、「その言葉やめて」という悲しい顔。胸が締め付けられ、「ごめんね」とすかさず抱き寄せ、謝りました。
「どんな思いで頑張っているんだろう」「人と比べても駄目。この子の育つところを伸ばしてやらねば」と心が切り替わったものの、今ほど、障害者への理解のなかった時代です。「私がいなくなっても、この子が生きていけるように…」そうした、追い詰められるような気持ちは、いつも心にありました。
学ぶ中で、ついに「成果」が
やがて夫を亡くし、8年前に、息子と共に信者になりました。学んでいく中で、今までの息子との関わり方を見詰め直したり、「心を大切に生きていかなくては」という思いが深まったりしていきました。特に、十教訓を軸に、「人として道を守って、真っすぐ生きていこう」と、親子で心が定まったのです。
5年前には、一人で介助に明け暮れる私を見かねて、施設の人から入所を勧められました。たくさん話し合った結果、入所することを自ら決めた息子。施設では、どんなことがあっても、神の教えを守り、みんなと仲良く暮らすことを確認し合って過ごしていました。
そんなある日、あれほど厳しい訓練をし続けても、全く変化のなかった息子に、生まれて初めて「成果」が出たのです! パソコンで文字入力ができ、電動車椅子も自力で動かせるように。何事にも挑戦する、やりたがり屋で、知りたがり屋な息子の良さが発揮され、ついに実を結んだのです。
47歳になった息子が、初めて打った文字は、「じたく、いく、いく」。私たち親子にとっての大大大奇跡! この時のうれしさは、生涯忘れられません。誰もが驚いた出来事に、息子も、「全部神様のおかげ!」と深く深く感謝していました。
息子の良さがどんどん花開いて
ことしのお正月、息子は初めて年賀状を送りました。何と、37枚も。私には、「お母さんとぼく、元気で頑張りましょう」。娘夫婦には、「お母さんのことよろしくお願いします」。こんなに思ってくれているんだと、胸がいっぱいになりました。
信者となって、心も大きく育まれてきた我が子。施設の人からは、「大変なときに気遣ってくれるんですよ」「研究発表があって緊張していた先生に、『頑張れ、頑張れ』と応援してくれて」などと伺います。優しい気持ちがたくさん芽生えて、集団の中で、みんなに愛される存在に。「あなたは私の誇りだよ!」と伝えています。
「一人でも生きていけるように」と考え、訓練ばかりをさせてきた過去。神の教えに出会い、心の大切さを知り、みんなと楽しく生きることの方がよほど大事とつかめました。不思議と、かえってできることも増えた奇跡。私が願い続けた、「自分がいなくなっても、自立して生きていける我が子」に成長した、心からの安心感。今、確かに手にできました。
奇跡に「救われる」心を知って
今こそ「教え」に生きる時(時代)
「教え」が信者の心に気付きを与え
悟り得た日々へと
「人生」を引き上げる
「道」の真理に生きるほど 人間は
「運命」に重なる「人生」が歩める
『真実の光・神示 令和2年版』141ページ