No. 1395

“限界”に思えた夫婦生活
笑顔のある家に大変化!
(静岡県EM/70代女性/主婦)

“結婚50年”と言えば、聞こえがいいでしょう。しかし、私が抱いていたのは長年の夫婦不仲、「離婚したい」気持ちでした。 

子供が誕生した後、夫はうつ病を発症。二人の子は身内に見てもらい、私は昼も夜も仕事に明け暮れる日々。なのに夫は、実家や姉夫婦の家に居座り、全く頼れないまま月日が流れました。子供が無事成人し、娘の結婚を喜んだのもつかの間、夫が狭心症を患い、介助が必要に。夫婦とは名ばかりの家庭内別居状態のまま、今度は、仕事をしながら、夫の世話をする生活となったのです。「一緒にやっていくのは、もう無理かな」。 

今を大切にしたいと思えたら…

ある日、私にステージ2の大腸がんが見つかりました。幸い、手術で全て摘出。うれしかったのは、子供たちが、「おかんのことは、私が世話をする」「おとんは、俺が頑張る」と言ってくれたこと。頼もしく成長した姿を誇らしく思いました。 

これを機に、一気に膨らんだのが、「命ある今を大切にしたい」思い。同時に込み上げたのが、「今の自分では子供たちを不幸にしてしまう」思い。神が繰り返し、“大切に”と言われる「家庭」、「家族」。「うちは無理」としか思えなかった私の心に、初めてぐさっと刺さったのです。 

愛ある自分へ一歩ずつ

けれど、葛藤しました。「家庭も家族も大切にしたい」自分と、「頼れない夫を受け入れられず、責めてしまう」自分。学んでいく中で、はっとしたのです。「この家は私が頑張らなくては回らない」と夫をそっちのけにして、自分、自分でやってきた…。その上、夫にだけではなく、何かと「責める心」が出ていた…。「今こそ変わりたい、変わらなくては…」。そう決意して、必死に学んでは、「夫を受け入れられる自分になりたい。愛ある自分になりたい」と祈願したのです。

次第に私の心に変化が…。服をうまく着られずに斜めになってしまう夫に、「着方が悪いから!」でなく、「こう着るといいよ」。“きつい”言葉よりも、“優しい”言葉が多く出るようになりました。病院の待合室で立ったり座ったりと落ち着かない夫のそばで、人目を気にし、「自分とは関係のない人」という顔をしていた私。それが、「私の夫です」と堂々としていられるようにもなったのです。 

思えば、夫が頼りにならないのではなく、私が頼りにしなかっただけ。冷たい心で見るから、夫は外に目が向いていったのだと思います。私が責めなくなったら、夫は笑顔を見せるようにもなりました。 

笑顔があふれる家庭を夫婦で

昨年、結婚50周年の記念に、家族が食事会を開いてくれました。夫を交えて、初めてのことです。ここまで来られたのは、私一人の力ではなかった…。多くの人たちに支えられてきたおかげ…と、心から感謝しました。みんなから「おめでとう」と祝ってもらい、夫婦で喜べる日が来るなんて…。胸がいっぱいでした。 

「人って変われるんだね」そう娘から言われた時、ドキッとしました。「子供はちゃんと見ている」と。「頑張れば、私たちもなれるかな」と娘夫婦が言ってくれたのも、うれしかったです。笑顔があふれる家を夫婦でつくって、子供や孫たちにいいお手本を見せていきたいです。

夫婦の和心育むところに
  その家は栄え
    心の道が広がり 深まってゆく
ここに 我が子の心(人生)も守られる
家庭の和は「人生」導く土台となるもの
  ゆえに
   「神の教え」軽んじることなく
     我が家に生かす努力がほしい
家人一人一人が教えに生きる悟りが大切
 悟り心重なり合うほど
    その家の運命実体
         家人の心を導き守る

『真実の光・神示 平成19年版』14ページ(中略あり)