No. 1252

孤独で寂しかった日々
嫌われる理由に気付いて
(静岡県KF/70代女性/無職)

私が信者になったのは、約40年前。心を寄せていた男性とうまくいかず、食事がのどを通らないほど落ち込んだ時でした。何でも願いをかなえてくれるのが神様。「私もいつか結婚できるかしら?」。 

生きる希望を求めていた私は、大学の聴講生になることに。申し込みには健康診断書が必要で、受診したところ、卵巣がパンパンで破裂寸前だったのです。全て摘出し、子供は産めない体になりました。 

悲しくて、悲しくて、それは真剣に祈願し続けた日々…。ある時、ふと気が付くと、あの苦しかった悲しみが、「すがすがしい悲しみ」になっているのです。「現実を受け入れられた」という、私にとって大きな大きな心の奇跡。「神様に出会えた」と、心が喜びに満ちました。大事に至る前に、卵巣の異常が見つかったことにも、感謝が湧いてきたのです。 

次々と生まれる気付き

神の教えを学ぶほど、見えてきた過去の自分。人の輪の中に入りたいけれど、入れない。声を掛けてほしいのに、誘われない。「待ってばかり」の人生だったから、孤独を感じて苦しかったのです。 

「自分から人と関わることが大切」と学び、苦手な人たちにも声を掛けていきました。それなのに、無視され、冷たくあしらわれて、心がくじけそうになりました。教えを実践しているのになぜ? 

その答えも、教えを学ぶ中で分かったのです。私が嫌うから、その心が伝わって、相手からも嫌われること。そもそも私が「嫌う」ことで、相手を「苦しめていた」こと。深く反省し、「嫌い」という心が取れるように、祈願していきました。

人との触れ合いが心から楽しい

「あの人と話しても楽しくない」「関心が持てない」。ちょっとしたしぐさを見て、「あの人、すごく嫌」。昔はしょっちゅう出ていた心が今、全く出なくなりました。日本だけでなく、海外にまで友人ができ、「触れ合いが楽しい」と心から思う毎日。形で見れば、両親は既に亡くなり、一人っ子で独身の私。しかし、全く寂しさを感じないのです。 

いとこがたくさんいるので、「いとこ会」をやろうと声を掛け、今年は初めて偉光郷に集合。「神玉祭の儀式」に参列しました。苦手な人もいたのですが、まるで別人のようにニコニコ話してくれてビックリ。心の距離が縮まっていく喜びを味わえました。 

こんな温かみのある人生を過ごせるなんて…。あり得ないほどの変化です。神と生きてきた時間が、少しずつ自分を引き上げてくれていることを感じます。神に感謝、報恩の気持ちでいっぱいです。 

「教え」を学び 「心の姿」を見詰めて生きる
 学ぶほどに 気付きが深まり 人格を高くする
「教え」を学び 「真実の愛」に生きる我を目指すこと
 そこに 大きな奇跡が起きる
 起きて ますます 神の手の中
    家族・縁者 多くの人との出会いを深めてゆける

「教え」を学び
     「心の姿」を見詰めて生きる
 学ぶほどに 気付きが深まり
           人格を高くする
「教え」を学び
 「真実の愛」に生きる我を目指すこと
 そこに 大きな奇跡が起きる
 起きて ますます 神の手の中
  家族・縁者
    多くの人との出会いを
            深めてゆける

『真実の光・神示 令和3年版』98ページ(中略あり)