「頭のてっぺんから足の先まで」病気、病気の人生でした。頭は脳動脈瘤で破裂寸前のところを救われ、他にも心臓病、バセドー病を抱えています。足は脊柱管狭窄症の影響で、「70歳には歩けなくなるでしょう」とも言われました。
思えば母も体が弱く、ぜんそくで酸素ボンベを2本携える生活。私が22歳の時、病気を苦に自ら命を絶ってしまったのです。
「私も母のような人生を歩んだら…」という不安は、この神を知って一気に解けていきました。「救ってもらえる」と信じて信者籍を置き、教えを学び始めたのでした。
価値観の違いに苦しんで
ところが、結婚した夫は体が強く、しかも大酒飲み。何より、価値観が合いません。夫は言葉が少ないため、私が理解できずにいると、「夫婦はあうんの呼吸だろ!」と叱られ、私も「ちゃんと言葉にしないと分からないでしょ!」と応戦。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う…を、ずっと続けてきたのです。
夫に「私が一番大事なのは自分の命、そしてお父さんの命」と言った時、返ってきた言葉は、「俺の一番は自分の命、二番は酒」。どれほどショックだったことか…。
初めて気付いた「心の弱さ」
「夫はこういう人」と諦める心。学びを重ねる中で、体の前に、「心の弱さ」から来ていると気付きました。のまれやすくて心配性で、すぐにくよくよ、めそめそ。仕事から帰った夫には、労をねぎらう前に「あっち痛い、こっち痛い」。
でも、夫は「またか」なんて言わない。私の短所を指摘することもない。私だけが夫の欠点をピックアップして、思いどおりに動いてくれないことを責め続ける日々でした。
見えてきた夫の優しさ
会話といっても、ひと言ポンと言うだけの夫ですが、そこには「思い」があると気付きました。私が聞こう、聞こうとすると、さらにポンと言葉が返ってきて、いろいろな夫の気持ちが見えてきたのです。お酒を飲む姿も、「何だか楽しそう」と感じるようになったのが不思議です。
夫は、「めんどくせえ」と言っていた食器の洗い物などを、張り切って手伝ってくれるようになりました。知人からすいかを頂いた時は、関節が悪い私に代わって、何も言わずに切って、大きい方をくれました。「お父さんと一生添い遂げたい」。以前は思いもしなかった気持ちが込み上げてきました。
亡き母に届けている思い
「70歳には歩けなくなる」と言われた足が、ありがたいことに動かせます。しかも、何種類も飲んでいた痛み止めを服用しなくても、階段の上り下りまでできるのです。「心も体も健康になってきた」と、強く実感する毎日です。
母が命を絶つ前、私に残してくれたメモ。そこには「強く生きてね」とありました。あれから50年余り。「神の教えで強く、明るく生きているから大丈夫だよ」と胸を張って言える私が今、ここにいます。
家族で「教え」を学び 「真理」に生きる家庭を築く
自ら「教え」に気付きを得て 心を正す努力をする
自然と 言葉や態度に 明るく優しい薫りが漂う
その時 「心」は「運命」に重なり 信頼し 支え合う気持ちが 家庭に芽吹く
人間は 「運命」の力で 重なり 補い合う環境に 心明るく 強く「生きる」人と成る
真実「健康」を手にした人の心(姿)が ここにある
家族で「教え」を学び
「真理」に生きる家庭を築く
自ら「教え」に気付きを得て
心を正す努力をする
自然と 言葉や態度に
明るく優しい薫りが漂う
その時
「心」は「運命」に重なり
信頼し 支え合う気持ちが
家庭に芽吹く
人間は
「運命」の力で
重なり 補い合う環境に
心明るく 強く「生きる」
人と成る
真実「健康」を手にした
人の心(姿)が
ここにある
『真実の光・神示 令和4年版』145ページ(中略あり)