No. 1222

まねできないと思っていた
母の生きざまからの気付き
(茨城県YK/50代男性/会社役員)

病と闘い続けた73年の母の人生。病院のお世話にならなかったのは、ほんの10年くらい…と記憶しています。31年にわたる透析、子宮の全摘、体の弱さから集中治療室に入ったことも何度もありました。 

家族ですら諦めかけた時も、母は弱音一つ吐きません。強い心で乗り越え、見事に回復していくのです。その姿に何人もの方が神の実在を感じ、信者籍を置きました。そんな母を尊敬しながらも、「母のような芯の強い人にはなれないな」とずっと思っておりました。 

神示を読む中で見えてきた姿

その母が、昨年、余命宣告を受けました。いつかは来ると分かっていても、どれほどつらく、落ち込んだか。心の内を真剣に祈願し、神示を一心に読んでいきました。 

学びを深める中、込み上げてきた後悔にも近い感情。「本音の会話をしてこなかったのではないか?」。自分はシャイだし、我が家は父がおしゃべりだからそれでいい…。それを言い訳に「家族に本心から関わっていない姿」が見えてきたのです。

思い返せば、母は、いつだって家族に愛の心で触れていました。ここ数年を思い返しても、一手に引き受けていた会社の経理や生活面のことなど、「父が一人になってもやっていけるように…」と全て伝授していました。そして、私たち夫婦には、神が教えてくださる「和のある家庭を築いてほしい…」と、とても願っていたのです。 

“本気で”家族と向き合う決意

私と妻は、仲は悪くないものの、本音は話せていませんでした。そんな中、娘がカナダに留学することになり、3年の予定で妻も同伴。形だけでなく、「心がバラバラ」。そうした寂しさを一人で抱えていたのでした。 

「今こそ家族に本音を伝えたい」毎日祈願しました。その思いを神は受け取ってくださったのです。見舞いのために妻が一時帰国した時、本心で関わってこなかった自分をわびました。母にも、「お母さんの子供で良かった」と、ありったけの感謝を伝えました。涙ながらにギュッと握り返してくれた手から伝わってきた、深い深い愛。最後に神が下さった、親子の時間でした。 

母が残してくれた生き方

母の玉納奉寿(葬儀)は、生前大好きだった茨城土浦偉光会館で行っていただき、その後、妻と娘たちは再びカナダへ。電話で日々のたわいないことも話す中、これまでにない温かい会話が弾みます。一緒に暮らしていた時より、はるかに仲良し家族です。母が願っていた、和のある家庭が築けてきていることを感じます。 

母の芯の強さ。それは性格だと思っていましたが、「神との絆の強さ」そのものだったと今、心から感じます。どんなにつらくても人を思いやる姿。周りに「他の病院がいいよ」と言われても、担当医を心から信頼し、明るく治療に励む姿。母は、神の教えに重なった、強い生きざまをたくさん見せてくれました。その生きざまを、これから私がしっかり継承していく思いです。

家族で「教え」を学び 和のある家庭を築く努力をする
 家族一人一人の人生は 神の手の中 守られ 導かれ 「運命」に重なる人生が歩める
 家族一人一人の人生が重なり 関わりを強めて 「心の道」に良き因を残してゆく
人生の終日を迎えた時
    故人も 家族も 共に歩んだ人生に「思い」を返し
      感謝 感動の心を深めてゆく

家族で「教え」を学び
    和のある家庭を築く努力をする
 家族一人一人の人生は
  神の手の中 守られ 導かれ
    「運命」に重なる人生が歩める
 家族一人一人の人生が重なり
  関わりを強めて
   「心の道」に良き因を残してゆく
人生の終日を迎えた時
 故人も 家族も
  共に歩んだ人生に「思い」を返し
     感謝 感動の心を深めてゆく

『真実の光・神示 令和3年版』64ページ