No. 1110

思いを語らない性格は
育った環境のせい?
(愛知県FM/70代男性/無職)

誰から見られても、恥ずかしくない人生を歩んできたつもりです。仕事は真面目に、誠実に。神示教会のことも熱心に。その半面、何か心に満たされないものがあったのも事実です。 

そんな私も70歳。信者歴50年、今は不思議と全ての出会いを楽しめるようになりました。昔の私を知る人は、「こんなに話をする人だったの?」「町内会長もしているの?」と驚きます。それもそのはず、子供の頃から、自ら発言したことは一度もありません。社会人になってもそうでした。それは、育った家のせい。怒るとちゃぶ台をひっくり返す父。そんな父の機嫌を取る母。顔色ばかりうかがい、思いを語らない自分の性格は、親が原因と思っていました。 

崩れ始めた独り善がりの確信

結婚後も、両親とは同居し、父の顔色をうかがう生活は変わりません。しかも、仕事が多忙で、毎日帰宅は深夜。家事も子育ても、どうしても妻任せになってしまいます。それだけ、妻に全幅の信頼を置いている証拠。「任せることで、夫婦の心は通っている」と思いました。3人の子供にも平等に愛情を注ぎ、「この子たちは親を嫌っていない」という確信もあったのです。 

やがて、その確信が、少しずつ崩れ始めました。妻も子供も、私と一緒に神の館に行きたがりません。娘など、「『お父さんの娘さんね』と声を掛けられるのが嫌だから」と言います。私は、手本でもなければ、尊敬もされていない親だとがくぜんとしました。 

小さなようで、大きな心の前進

神が、「家庭」「家族」と説き続けられるお言葉が、心に刺さり始めました。頑固で厳しかった父のせい…ではなく、妻や子供を大切にしてこなかった自分。そこに目を向け始めたのです。そんな時、妻からの言葉。「子供が小さい時、相談しても話を聞いてくれなかった」。ドキッとしました。でも、「本心を言ってくれた…」と受け止められたこと。小さなようで、大きな心の前進でした。 

さらに、つい先日、妻から二つ目の本音を聞きました。「お父さんは、『心の目』も外を向いている」。やっと気付きました。私が思いを語らないのも、仕事にばかりまい進してきたのも、その背景には「家族に関心が薄い」心があったのです。それを妻にわびた時から、夫婦の会話は、何十倍も増えています。 

妻や子供たちと話していると、「そうなんだ」「それで?」と、自然と自分の気持ちも乗っかります。最近、うれしいことがありました。70歳になる私のお祝いをしようと、子供たちが神魂の儀(長寿の祝い)の計画をしてくれていると知ったのです。 

夫婦で何でも話せる、安心感に包まれた毎日。その状態で周りの人と触れると、縁がより深まっていくのを感じます。人との関わりがこんなに楽しいとは…。心底、感謝です。

――悔いなき人生 基なすものは 「和のある家庭」――
教えは「真理」 ただただ心かけて実践すべし
 実践重ねるほどに 会話も増えて 存在通して 支え合える家となる
 神の手の中 家族の心導かれ 縁を深めて その家は栄える

――悔いなき人生 基なすものは
        「和のある家庭」――
教えは「真理」
    ただただ心かけて実践すべし
 実践重ねるほどに 会話も増えて
   存在通して 支え合える家となる
 神の手の中 家族の心導かれ
     縁を深めて その家は栄える

『真実の光・神示 平成18年版』181ページ(中略あり)