「年の差婚」というと、世間的にはタブーだった時代に、私と妻は一緒になりました。年齢は、妻が一回り年上です。
私は70代、妻は80代。今年で結婚49年目に入ります。家庭、健康、仕事…、全てが、山あり谷ありでした。2人が正反対を向いて生きていたこともありました。
妻は友人と、私も友人と。好きな所に出歩き、別々に謳歌(おうか)していた人生。けんかして、感情をぶつけ合っていた過去。それも振り返れば、全部が神のご守護の中にありました。今は全てのご縁に、節目に感謝しています。
合わないのは年の差のせい?
大切に思っていても、これだけ年の差があれば、妻とは合わなくて当然。それを変えたのが職員のひと言でした。「奥さんをどう思っていますか?」と聞かれ、「愛しています」と伝えると、「その気持ちを言葉にすることです」と。
それが、神が教えてくださる「本音の会話」。当時はそこまで理解できませんでしたが、素直に伝えてみたところ、妻も感情的になることが減っていったのです。
本当の原因に気付けたおかげで
我が家は短命な人が多く、私も父を早くに亡くしています。だから、いつも心にあったのは「命は有限」という思い。思えば、随分と人生を急いできました。常に仕事をしているような状態で、気持ちは常にせいて、感情的になって。「合わない」という感覚を生み出した真の原因は、年の差ではなく、生き急ぐ私の心だったのです。「間を取る」「一拍置く」私にはこの感覚が必要だと神の教えでつかみ、肝に銘じていきました。
心を守られていることを感じて
体は丈夫だった妻が、70歳を迎える頃から、胃がんを患ったり、突然のけがに見舞われたりするように。でも、私も妻も全く動じません。「ヨーシ」と心にエネルギーが湧いて、支えることに専念でき、妻も不思議なほど順調に回復するのです。今、妻は、足腰の弱さはあるものの、普段どおりに生活しています。朝に夕に、腕を取り合い、散歩するのが私たちの日課です。
たわいないことで笑い、言いたいことも言い合いながら、2人で手を携えて歩む人生。ある時、ふと気が付きました。仕事で新しい挑戦をしたとき、大きな困難に見舞われたとき。どんな私もドーンと受け止め、何があっても動じずにいてくれた妻。淡々と「大丈夫よ」と言う言葉に、どれほど支えられ、救われてきたでしょう。そう気付けたのも、ここまで命を頂き、共に生きてこられたから。やはり、全てが神のご守護だと思わずにはいられません。
「ありがとう、愛しているよ」は変わらずに伝えています。正反対を向いて歩こうとした心は、もうありません。今がとても仕合せです。
――仕合せの基は 和のある家庭――
この一言「真理」心に留めて 人生歩む二人であれ
――出会いに感謝し 思いを語る――
「家庭」が育む和心が 「真理」に生きる人をつくってゆくのである
家族の心重なり合うほど 真の「仕合せ」 我が家に根付くと申す
――仕合せの基は 和のある家庭――
この一言「真理」心に留めて
人生歩む二人であれ
――出会いに感謝し 思いを語る――
「家庭」が育む和心が
「真理」に生きる人を
つくってゆくのである
家族の心重なり合うほど
真の「仕合せ」
我が家に根付くと申す
『真実の光・神示 平成23年版』115ページ(中略あり)