5月に、父が91歳で旅立ちました。
生前、母とはけんかもしていましたが、昨年12月に受けた結婚記念の儀式では、65年一緒に歩んでこられた感謝を伝え合っていました。
介護生活10年。儀式を受けてからの父は、穏やかな生活を送っていました。しかし、食欲と体力が少しずつ衰えて、2月に在宅医療に切り替えて間もなく、危篤状態になってしまったのです。
危篤を脱し、手本となる姿を
医師や看護師、ケアマネージャーなど、多くの方が手厚くサポートしてくださいました。さらに、回復を願う家族の心が重なって、状況が持ち直したのです。
それからは、家族、親戚が父の部屋に集っては、父の好きな歌を歌ったり、思い出話に花を咲かせたりしながら過ごしました。暗さは全くなく、憩いの場でした。その中心にいる父の前向きさに、私たちは励まされ、元気をもらっていたのです。
体は弱っても、周りを笑顔にし、生きる力をも与えてくれる…。目指したい、生き方の手本を父は、示してくれました。
旅立ちの日も感謝いっぱいに
迎えた旅立ちの日、父は大好きなあんこを食べ、家族一人一人に感謝の言葉を伝えてくれました。そして、母の手を握り、「世話になった。ありがとう」と、声にならない声で精いっぱいの思いを届けていました。最期は家族が見守る中、「頼むな」の言葉を残して、穏やかに旅立ったのです。
教会葬儀、玉納奉寿では、神を敬い、先祖を大切にし、家族や縁ある人のために生き抜いた父の人生が思い返されました。「生き方」という大きな宝を残してくれたことを感じたひととき。悔いのない人生を目の当たりにして、心が打ち震えました。「父からの人生のバトンをしっかり受け継いで、歩んでいこう」と誓っています。
次女より
玉納奉寿で走馬灯のようによみがえってきた、祖父との思い出…。祖父も「そんなこともあったな」「楽しかったな」と言ってくれているようで、「おじいちゃんの孫に生まれてよかった」と、心からの感謝があふれました。そして、「祖父が大切にしてきたものを、私も大切にしていきたい」という決意が湧き出てきました。
日がたつほど、祖父が最期に残した「頼むな」の言葉の重みを感じます。争うこともあった家族、親戚が笑顔で集う環境を築いてくれた祖父。父は、「一家が揺るがないためにも、もっと真剣に神の教えを学ばなあかんな」と言っていました。私も、神の教えを軸に、祖母や両親を支えていこうと強く思います。
祖父の生き方が、私の人生の道しるべです。祖父との思い出を心の支えに、一日一日を大切に生き抜いていきます。