No. 1068

神を信じられなかった私が
自然と感じた「神の実在」
(埼玉県RS/50代女性/医師)

実家には、地元に根付いた神を祭る神棚があり、幼い頃から自然と神を信じていました。ところが、大学2年生の元旦、例年のように両親とその神を祭る神社に参拝した帰り、突然、父が鳥居のそばで心筋梗塞の発作を起こし、帰らぬ人となったのです。熱心に信仰していた父がなぜ? それもこの場で? 「この世に神も仏もあるものか」と、神仏を信じられなくなりました。

それから約7年後、母の勧めで神示教会の信者となりましたが、母のため…という感覚でした。神という存在自体が受け入れられないため、神の教えはチンプンカンプン。むしろ反発心さえあったのです。

いつの間にか変われた不思議

普段は内科医として働いている私に、甲状腺がんが見つかりました。甲状腺は、専門領域の一つなのに、自分のこととなるとただの一患者でした。最終検査の朝、とてつもない不安に襲われ、足が動かないのです。初めて必死に祈願し、だんだん気持ちが落ち着きました。診察室で説明を受ける時は、そばに誰かがいてくれるような安心感まであり、神が守ってくださっている…と感じたのです。

治療も順調に進み、最短で仕事に復帰できた私は、自発的に神の教えを学ぶようになりました。さらに、5年前に母が病に倒れたのを機に、学びに拍車が掛かりました。先々を考え過ぎる性格、せっかちで短気なところ。「気持ちを流す」「一呼吸置いて受け止める」必死で意識して…というより、自然とそうできるようになっていく不思議。神のお力以外に考えられなかったです。

母娘の穏やかな時間を過ごすことができ、母は安心しきった笑みを浮かべて、心の世界へ旅立ちました。本来なら、既になかったであろう命を頂いた期間。私自身の感じ方や、生き方がガラリと変わったことも、神が下さった大きな奇跡だったのです。

どんな困難も「結果は吉」に

夫への思いも大きく変わり、欠点ばかり目に付いていたのが、今は補い合って、高め合える最高のパートナーと感じます。それに、がんを経験したことで、診察室に来られる患者さんの苦しさも、手に取るように分かります。「先生」と信頼してくださることがありがたくて…。10分、15分の診察時間であっても大切に、生きる希望が見える関わりをしたいと思うのです。やりがいいっぱいの毎日、私が患者さんを診ているようで、実は私が患者さんに支えられている、と感じられてなりません。

どんなにつらいことも、全て「あれがあったから、今がある」と、吉に返していただけることを体感した私が、自信を持って言い切れることがあります。混迷に満ちた今の社会で、「絶対」というものが少ない中、神の実在と教えは「絶対」ということ。心を正しく向ければ、神は絶対に救ってくださる、ということです。真実の神に出会えた絶対の自信を持って、これからの人生も、神と共に歩んでいきます。

「神の実在」信じて 「心」預けし者は 救われてゆく
 迷う思いが「神(神魂)」に届いて 奇跡を受けて 「人生」が守られてゆくのである
「神(直使)の力(偉光)」が信者の心(運命)を守っている
 「心」神魂に包まれて 「道」欠く心(人生)の動きは起こらない
 ゆえに 「夢」あふれ 「希望」ある人生を歩んでゆける

「神の実在」信じて 「心」預けし者は
            救われてゆく
 迷う思いが「神(神魂)」に届いて
  奇跡を受けて
   「人生」が守られてゆくのである
「神(直使)の力(偉光)」が
    信者の心(運命)を守っている
 「心」神魂に包まれて
    「道」欠く心(人生)の動きは
             起こらない
 ゆえに
  「夢」あふれ
   「希望」ある人生を歩んでゆける

『真実の光・神示 平成23年版』102ページ