No. 1054

「家族といるのに寂しい」
孤独の心が消えた喜び
(長野県AN/70代女性/主婦)

三男を生んで間もなく、夫と離婚。もう45年も前のことです。そこから「子供たちと仕合せになりたい」と願い、頑張って、頑張って…。でも、まだ仕合せは手に入っていませんでした。いつしか、同居する長男家族との間にできてしまった心の距離。リビングから長男夫婦と孫たちの笑い声が聞こえてくるたび、寂しかった…。輪に入ろうとリビングに行くと、空気が変わり、話が弾まなくなります。昨年あたりから、それが顕著になったと感じたのです。

私が変わらなければ!と気付く

一つ屋根の下にいても、嫁とは会話もありません。私は、ただみんな仲良く、魂安らぐ家庭を築きたいだけなのに。何のために一人で頑張ってきたのか。夢も希望もない毎日に、出るのは深いため息ばかり…。こんなに私を苦しめているのは何? 何に気付いたらいいのだろう? そう思って教会図書を読むと、はじから気付くことだらけだったのです。

人それぞれに歩んでいる道があるのに、私が見ていたのは、自分の道だけでした。嫁の言動が意に沿わないと腹を立て、時には爆発寸前。「もう何もかも嫌だ!!」と激しい気持ちを祈願で落ち着け、何食わぬ顔で家族の所へ。でも、心というものは、責める思いが出ただけで、口に出さなくても相手に伝わってしまう。だから、嫁も素っ気なかったのでしょう。

温かい心、柔らかい心、広く大きな心になりたい…と一心に祈願しました。「相手の気持ちをつかむ努力」をしなければ。そこに気付かずにいた私は、「孤独にさせられている」のではなく、自分で勝手に、寂しい思いをする生き方をしてきたのです。

きっかけは意識改革

腹が立つこともありますが、家族は一番大事な存在。そういう相手だからこそ、接し方を変えなければ!と自分の中で意識改革。ここが好転のきっかけになりました。

ある日、仕事から帰ってきた嫁の顔を見て「何かあったかな?」と感じ、声を掛けました。「雪道で転んでしまって…」と言うので、「痛かったね…。大丈夫?」と、今までになかった会話ができたのです。そういえば、このところ、不満の心が出にくくなっていたのも、不思議な感覚でした。

嫁の気持ちが見えてきて…

料理が好きな私は、同居を始めた頃、嫁にいろいろな料理を教えました。その料理を今、嫁が作ってくれます。それも、上手に作ってくれるのです。おせち料理も、私がずっとそうしてきたように、毎年、一生懸命手作りしてくれます。共働きで忙しいのに…。嫁は、私のことを、私の気持ちを、ずっと大切にしてくれていたのです。

家族と一緒にいるのに感じていた孤独。今は丸ごと消えました。「お義母さん、気を付けていってらっしゃい」と、嫁がニコニコ送り出してくれます。こんなに優しい子なのに、その心をむしばんでいたのは私。問題の根本は、感情的になる私自身の「心」だったのです。

近くに住む三男家族も、「母ちゃんのカツ丼食べたい」「おやき作って」とリクエストしてくれます。45年前から求め続けてきた仕合せな毎日。80歳を前に、家族と味わえている喜びでいっぱいです。

――悔いなき人生手にするために 「真理」に生きる家庭を築く――
「真理」をただただ学び 生き方に修めていけばよろしい
 我が任(立場)を知って 家庭で生かしてごらん
 自然と家族の心は まとまり 重なり 会話が弾む
 「悔いなき人生」手にする人が育つ 家庭の姿が ここにある

――悔いなき人生手にするために
   「真理」に生きる家庭を築く――
「真理」をただただ学び
    生き方に修めていけばよろしい
 我が任(立場)を知って
        家庭で生かしてごらん
 自然と家族の心は
    まとまり 重なり 会話が弾む
 「悔いなき人生」手にする人が育つ
       家庭の姿が ここにある

『真実の光・神示 平成25年版』88ページ(中略あり)