(横浜市TM/40代女性/保育士)
両親が高齢になり、できにくくなったことが目に付き始めました。そこで、兄や弟に比べ、都合がつきやすい私が、実家を訪ねることが増えたのです。薬を小分けにしたり、冷蔵庫を開けては料理したり。二人のことが心配で、「飲み忘れ防止」「食材が傷まないうちに」と気を回す…。それでも忘れることがあったりすると、「もっとこうすればいいのに…」「ああすれば…」という思いで、私の心の中は悶々(もんもん)。精いっぱい尽くしているのに、なぜか母の体調はいまひとつ良くならず、表情もどこか浮かない…。「心の向け方が違うのかな」と漠然と考えていました。
頑張る仲間の姿に刺激を受けて
そんな中、「自分を変えたい」一心で参加した、「20代~40代対象の研修会」。同じような悩みを抱えている同年代の仲間たちが、神の教えを学び、変わろうと努力している姿にドキッとしました。自分が、「私は正しい」「こんなにやってあげているのに…」という気持ちでいたことに気付いたのです。普段学んでいるとおり、大切なのは、何をするかではなく、どんな心でするか。頭では理解していながら、つい求める心や責める心が出ていました。
振り返ってみると、私が両親に掛けていた言葉は、確認や指示出しばかり。心配を掛けまいとする二人から、「大丈夫だよ」と言われても気が気でなく、つい「全然大丈夫じゃないから!」と強い口調で返してしまう…。大切な親に、随分道を欠いた態度を取っていました。何より、寂しい思いをさせてしまったに違いありません。
「子供」らしい関わりを意識
子供としての立場をわきまえて、正しく関わりたい。そう思い、言い過ぎや注意を封印。困ったことを聞いていこうと心掛け、常に祈願して関わっていきました。その後も、行き詰まると教務相談へ。「両親を気に掛ける『心』が大切」「愛を感じると、人はそれに応えようとするもの。愛は愛を呼ぶ」などと確認するたび、自分の心を立て直すことができました。
何でも話そうと前向きに
いつしか気負いが取れ、「時間があるから、ご飯、食べていっちゃおうかな」と甘えたりもするように。たったそれだけで、父も母も、驚くほどうれしそうな顔をしてくれるのです。
昔から、そろって食卓を囲むことのなかった我が家。そのことに寂しさもあり、思い切って伝えてみました。「いろんなこと、話してこなかったよね」と。両親は、「そうだね」と受け止めつつ、「話してくれれば聞いたのに」と言います。以前なら、責めていたでしょう。ところが、「そうか、私が伝えればよかったんだ」と素直に受け止められました。そして、親が安心できるよう、子供として、自分から何でも話していこうと前向きに思えたのです。「二人がいてくれるから、過去の足りなかったことも取り戻せる」と感謝も膨らみました。今、三人で、「おいしいね」と食事ができることにも大きな仕合せを感じます。
多くの支えの中で変わることが
兄家族や弟、義妹たちとも、LINEでいろいろ報告し合う日々。教会の係さんや、研修会で知り合った仲間たちにも、どれほど支えられているか…。おかげで、教えで生きようと意識でき、自分の心が変わった手応えを感じられるようになりました。
立場を踏まえて関われる今、悶々とした思いは消えました。自分のやれることを精いっぱいやればいいと割り切れて、気持ちも楽。気付いたら、母の体調も落ち着いて、出掛けられるまでに変化。思いを口に出さないタイプの父が、何かにつけて「ありがとう」と言ってくれることにも、喜びをかみしめています。両親が少しでも長く、住み慣れた家で暮らせるよう、心を込めて関わっていきます。



家族の心(運命)を重ねるために
家族一人一人が「教え」を学び
「教え」に生きる努力をする
自然と 家庭に会話が生まれ
心休まる家と生(な)ってゆく
互いを思い
心(愛情)をかけ合う家庭に
人の心(運命)は磨かれ
奉仕に生きる人を育てる
「教え」のある家庭に
人の心(運命実体)は光り輝き
六つの花びら咲き誇る
家庭となってゆく
『真実の光・神示 平成30年版』106ページ



※六つの花びら;神が人としての仕合せを六つの花びらに例えてお教えくださった、基本真理の一つ。夫・妻、男女の子供、健康、職業、生活、希望の六つに恵まれることが、人としての仕合せなのです。六つの花びらは、順にかなっていきます。夫婦が仲良く暮らすと、親子の仲も良くなります。そのような家庭を築けると、健康に恵まれ、人の役に立とうという意欲も枯れません。社会で活躍できるので、生活に困ることもなく、大きな希望を持って人生を歩めます。詳しくは『生命の歩み』84ページで確認しましょう。