(北海道MY/70代男性/無職)
自宅のカーポートの天井を修理中、脚立が突然倒れて落下。かかとを骨折してしまいました。即入院となり、プレート固定の手術をすることに。「治りにくい箇所」と言われて不安がよぎりましたが、不思議と後悔よりも、「治すしかない!」と気持ちを切り替えられたのです。「人生を高める絶好のチャンス」と捉えて、教会図書を手に、2カ月の入院期間を過ごしました。
神の教えから二つの気付きが
まず気付いたのは、小さいけがから九死に一生を得た事故まで、何度も経験してきたということ。若くして亡くなった身内もいました。私も、何か一つ違ったら、命がなかったはず…。あらためて、生かされている感謝が湧き上がってきたのです。
もう一つは、“自分の生き方”です。人のために何かすることが苦にならない私。ところが、生き急いでしまうのか、気付くと「一人で」チャッチャカ動いているのです。今回も、妻から、「お父さん、そろそろ体力も落ちてくるから無理しないで」と言われていた中でのけが。わずかな時間を惜しんで、作業した結果でした。
やり過ぎる生き方を変えようと
さらに入院中、思わぬ妻の気持ちに触れました。「お父さんのいない家は寂しい。でも、今までも一歩間違えればこうなっていたのかもしれない」と。事故やけがの多い私の無事を、ずっと願ってくれていた妻。その思いをよそに、「自分はもっとできる!」と動いてしまう。その行動が、妻にどれだけ心配を掛けていたか…。自分の価値観だけで、良かれと思ってやり過ぎてしまう。そんな生き方のゆがみに気付いたのです。二度と繰り返さないために、今こそ考え方を変えよう!と決意しました。
「見舞いに来てくれてありがとう」「心配掛けて悪いな」。妻への思いを言葉にして、心を込めて伝えることから始めました。その時の、妻のうれしそうな顔…。言わなくても分かるだろうではなく、身近な家族だからこそ、思いを伝える大切さを痛感したのです。
いつも気持ちが明るいからか、きついリハビリも楽しくて…。医師から「本当に痛くないの?」と不思議がられたほど。「学会で発表させてほしい」と頼まれる回復ぶりで、当初の予定よりもはるかに早く退院できました。
相手の思いと「共に」動く
普段どおりの生活に戻れた今、命ある感謝を忘れずに、人のために役立っていきたいと思います。これまでと違うのは、「相手の思いに沿って」をいつも意識できること。雪かきや家のことをするにも、「きょうはこのくらいで終わらせる予定」「無理しないペースでやるから」などと、声を掛けてから作業。家族が心配してくれる。その思いを感じられる自分に変われました。
時にやり過ぎる性格が顔を出しても、「一度休憩したら?」「それは今でなくてもいいんじゃない?」という妻との会話で思いとどまれます。家族で神の教えを学んで、関わり合うところに、生き方を高めていける。神の教えで学んでいるとおりです。これからの人生、「家族と共に仕合せに」という気持ちを忘れず、神から頂いた寿命を歩み抜きます。



「教え」に気付きを得ることで 人間は
相手の思いを感じ取る
家族で「教え」を学び
「真理」で関わる家庭を築く
努力をする
自然と
互いの思いは重なり 一つになる
この時
「真実の愛」が
家族の心を包み込み
仕合せを共有している
『真実の光・神示 令和6年版』102ページ(中略あり)


