(北海道CM/70代女性/主婦)
2月に2度目の定年退職を迎え、42年間の看護師生活にピリオドを打ちました。
自分の欠けに気付いたら…
1度目の定年は55歳の時。それまでは外科で働いていました。緊急対応が多く、毎日必死で、きつい性格が表に出ることもしばしばでした。自分のペースに合わない仲間のことを「遅い!」と感じ、内心ため息。随分、自分中心でした。
そうした自分に気付いたきっかけは、定年後、老人看護に携わったことです。バタバタだった外科とは違う、介護施設ののんびりした雰囲気。意識したのは「傾聴」です。利用者の話も、介護士の話も、ゆとりを持って聞こう。そう思い、祈願、祈願で一人一人と向き合う日々。すると、相手の気持ちが見えてきて、目線を合わせた関わり方へと変わっていきました。やがて、何人ものスタッフから、仕事への思いや人間関係の悩みなどを打ち明けられるように。以前なら、「そんなことで…」「もっとしっかり」と責めることしかしなかったはず。でも、神の教えを通して気付いた、自分に足りない「相手の状況や気持ちを分かろうとする心」。それを心に置いて触れていく中で、「いっぱい聞いてくれてありがとう」「これからは頑張れそう」「勉強になった」と言われるまでになったのです。
大きく変わった夫への関わり方
家族への関わりも改めました。仕事で家にいない夫には頼れず、結婚当初から、仕事も育児も精いっぱい。夫から頼まれ事をしても、「それくらい自分でやってよ」「私だって働いてるんだから」で済ませていました。その上、夫婦でいろいろ話はするものの、実は、事後報告も少なくありません。私と子供で物事を決定し、夫が意見を言っても聞き流してきたのです。ここにもあった、「分かろうとする心」の薄さ。夫だって仕事で疲れている。子供のことも考えてくれている。かつての私には、これが見えなかったのです。
以来、話をじっくり聞いています。自分の意見を貫きそうになったときも、「言い方がきつかったね、ごめんね」「こんな気持ちで言ったんだ」と素直に謝ったり、思いを伝えたり。確実に関わりが変わってきました。
休日、夫が気晴らしに出掛ける際も、「車で送ってって」と頼まれれば、「いいよ」と気持ちよく。「何で私が!?」と言っていた昔がうそのようです。頼ってもらえることがうれしくて、「帰りも、行けそうだったら迎えに行くよ」と声を掛けている自分がいるのです。夫もうれしそうで、たわいない会話が弾みます。「毎日、布団を敷いてあげる」などと言い、いそいそと動いてくれるようにもなりました。
わずかずつでも確実に成長を
長年、看護師として働いてこられたのは、家族が支えてくれたから。あらためて感謝が湧き上がります。大切な家族のために、もっと温かいやりとりをして、心が休まる家庭をつくっていきたい。そんな思いでいっぱいです。自分の心が変わったら、考え方の違う義妹とも縁が深まりました。
かつて、「畳の目ほどでもいいから…」と心の成長を願ってくださった直使供丸姫先生。その深い愛の御心を忘れずに、残りの人生を大切に過ごしていきます。



「教え」を家族で学び
一人一人が任と立場を知って
関わりを深めるほど
家族一人一人の「実体」は
大きく修正されて
「運命」に重なる人生が歩める
日々 心明るく 穏やかに
生活する人は皆
「仕合せ」を体験できる
多くの人との出会いが生きて
知識も 努力も
「人生」を引き上げる体験となる
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』13ページ(中略あり)


