(愛知県HH/50代女性/無職)
15歳で膠原(こうげん)病になり、1年間入院しました。その後は安定していたものの、昨年、突然悪化。「40年も過ぎてから珍しい」と主治医に言われました。心配性の私は、「何で急に…」と不安でいっぱいになりながら、教会図書を抱えて入院したのです。
思わぬ病気が見つかって
治療では、大量の強い薬が使われます。それで肝臓を悪くした経験から、副作用への恐怖が拭えません。心配な気持ちを神に訴え、必死に図書を読みました。すると不思議です。肩の力がふっと抜けて、素直に服用してみる心に変わったのです。「治療してもらえることがありがたい」。感謝の気持ちで口にした薬は、副作用がほとんどなく、驚くほどよく効きました。
ところがその直後、胸に激しい痛みが走りました。即、検査を受けると、心臓の三大冠動脈のうち、2本が詰まりかけ、たった1本で、何とか動いている状況が分かったのです。「手術しかない」と言われたものの、処方された薬を飲むうちに、何と1本が回復。残る1本のみ、胸を開いてバイパス手術をすることになりました。
多くの支えに生かされている私
兄弟がなく、両親が他界しているため、検査や手術の説明は一人で聞きました。「明日から術前検査をするからね」「リスクが高いから、心臓は止めずに手術をすることになったよ」。次から次へと詳細が決まっていきます。それが、私には大きな救いでした。選択を求められたら、余計に不安が増して、耐えられなくなっていたはず。心配しなくていいから…と、神様が導いてくださっているとしか思えませんでした。
親身になってくれる医師やスタッフ、輸血用の血液を提供してくれた見知らぬ誰か…。本当に多くの人たちのおかげで手術が受けられる。そう思うと、ありがたくてありがたくて、泣けました。普段、あれこれ心配しがちな私が、大きな手術に、何の不安もなく臨むことができたのです。麻酔から目覚めると、主治医が、「頑張ったね。手術は成功したから、もう大丈夫」と、身内のように優しく声を掛けてくれました。それがうれしくて、再び涙があふれました。
人との縁を深めようと…
2日目から、早速リハビリが始まりました。体中、管だらけにもかかわらず、気持ちはとても前向き。病室でも、「あなた、明るいわね」と言われました。本来は、用事のない人に声を掛けるのは苦手です。でも、神の教えを学び続けてきた私。「人は一人では生きていけない」「自分から人に関わること」を実践しようと、これまでも縁のあった人たちに自ら声を掛けてきました。おかげで、入院中も、皆さんと気負いなく話すことができました。ベッドのカーテンを閉めっ放しの人にも、洗面所で会ったら挨拶したり、雑談したり。それがきっかけで、交流が続いている人もいます。
周りの人を明るくできる自分に
順調に回復し、術後1カ月で退院。膠原病が悪化した時は、「何で?」と思ったけれど、入院したからこそ、心臓の病を発見できたのです。スタッフが口々に言います。「心臓はなかなか異常が見つからないんだよ」「すぐに薬を飲めたから、冠動脈が1本助かったし、命拾いしたね」「奇跡だよ」と。神様に命を頂いた…と震えました。
生きている今の時を大切に、周りの人たちも明るく、元気な気持ちになれるように触れていきたい。そう心に誓っています。



健康とは
心の状態が安定し
悩み 苦しみ 迷いのない姿をいう
「教え」に生きる努力をする
朝夕必ず
「教え」に生きる決意を神に誓う
自然と
「道」を守る心の動きが引き出され
「運命」が信者の心を
健康へと導いてゆく
健康な心(精神)が
体の変化を受け止め
心身の調和を図る
『真実の光・神示 令和2年版』32ページ(中略あり)


