No. 1670

短気も 父を憎む心も一転
穏やかに感謝できる自分に

(新潟県TT/70代男性/大型ドライバー) 

購入したばかりの中古車を、わずか2カ月で手放すことに。原因はエンジンの故障。意気消沈する営業の方に、「短い期間でしたが、十分楽しませてもらいました!」。怒鳴られるかと身構えていたようだったので、反対に感謝の花束を渡す気持ちで、夫婦でお礼を申し上げました。 

広い心で受け止められると

とはいえ、気に入っていた車。“超”短気な私は、「ちゃんと整備したのか」と責める気持ちがあったのも事実です。そんな私に妻は、「南の方から来て、雪国は合わなかったかもね」と言い、孫たちも「遠出したから、車がびっくりしたんじゃない」。誰も責めず、広い心で受け止める姿に感化されて、私も穏やかになれたのでした。 

夫婦で話し合い、買い替えを決断。その答えに、不満も、迷いもなし。手放す車にも、「我が家に来てくれてありがとう」という、実に爽やかな気持ちでした。家族で教えを学ぶと、心に波風が起きそうな事態にも、のまれない! 豊かな心で受け止められる! ありがたいものだと、しみじみ実感しました。 

父を憎み、恨む心が流れて

現在は夫婦二人暮らしですが、近くに子供や孫たちがいて、とてもいい関係が築けています。しかし、我が家の家系を見た時、私にあるのは“超”孤独な心。母を泣かせる生き方をした父を許せず、死の瀬戸際にあっても会いに行きませんでした。その私が神の教えを学ぶ中で知ったのは、人には自分の力でどうにもできない「心」があること。父のように妻を泣かせない。そう思いつつ、夜中まで飲んで歩いては心配を掛け、家で待つ妻の思いなんて考えもしない。結局、私も父と同じ生き方をしていたのです。父だって、きっと苦しかったのだろうと、理解できるようになりました。 

昨年の勉強会で、心にぐっときた話があります。「先祖がいたから、今の自分がいる」。父がいなかったら、私は存在しなかった。それを素直に受け止められると、父を恨み、憎む心がサーッと消え去ったのです。自分が今、仕合せを味わえるのも、父や先祖のおかげ。そんな感謝が込み上げて迎えた「神玉祭」(先祖の思いを受け継ぐ墓参の期間)。初めて、父に「生んでくれてありがとう」と心からお礼を言えました。 

良い心の流れを子や孫に

自分も、いずれ先祖となる身。子や孫に残していきたいのは、良い心の流れ。短気な私は、妻に何か言われると、「いちいちうるさい」と思うことがありました。それが最近は、「いちいち…」が出ても、心にブレーキがかかります。「自分が悪かった」「妻の言うことも一理あるな」と思えて、素直に謝れたり、「確かにそうだ」と気持ちよく手伝えたり。40年以上、弁当を作り続けてくれた妻には、どれだけ支えてもらったか。妻のおかげで…と感じられるほど、「ありがとう」を伝える場面が増えました。 

勉強会でもう一つ、ぐっときたのが、人は役立つために生まれているということ。妻のきょうだいを誘ってドライブしたり、山菜を採って友人や知人に喜ばれたりするのも、楽しみの一つ。形の悪い山菜は我が家で。妻がうれしそうに調理してくれる姿を見るだけで、心が満腹になれる日常に仕合せを感じます。きょうはどんな出会いがあって、どう人の役に立てるのか…ワクワクする毎日です。

家族で「教え」を学ぶほど      
    家族の心は安定し
      互いに声掛け 愛情が育つ
 家族の心をつなぐ愛情が      
    家族の実体を高め      
      「心の道」を太くしてゆく
家庭環境が高くなるほど       
    人間の魂は安定し        
   「運命」に導かれた人生が歩める

令和6年7月23日 『友輪』342号20ページ〈中略あり〉