(栃木県KK/60代男性/無職)
偉光会館で神の教えを学んでいると、「なるほど!」「そうか!」と得られる“気付き”。それを生かせば、人生は必ず良い方向に向かうと、日々実感しています。
といっても、数年前までの私は「仕事一筋」。転機は、妻の病でした。メニエール病で倒れた時は、本当に心配な状況が続き、早期退職することに。やがて回復した妻に誘われて、神の教えを学び始めたのです。
つかんだことを生かすと
それまで、「何となく」聞いていた勉強会。重ねて学ぶうちに、教えが深く入ってきました。特にハッとしたのは、「家庭」と「人を思いやる心」の大切さです。思えば、家業を継いでからは、何十年とがむしゃらに働き続けた日々でした。店を畳み、勤めるようになっても、それは同じ。けれどその裏で、どれほど妻が支えてくれていたのか…。見えなかった心遣いに気付いた時、「自分もその心に応えたい」。今までにない熱い思いが込み上げました。
だから、「相手の気持ちを大切に、話を最後まで聞く」ことから意識しました。途中で口を挟みたくなったら、まず祈願。話し出す前にも一呼吸。「自分の方が正しい」と、感情をぶつけないよう意識する。できることは、たくさんありました。私自身は反省の連続ですが、妻は何だかうれしそう。「お父さんとこんなふうに話せるなんて。前は気合いを入れないと、会話にならなかった」と言ってくれます。身内からも、「変わったね」「話しやすくなった」などと驚かれました。
小さいことのようですが、そうした心の変化は、毎日を大きく好転させていったのです。町内会の打合せでも、自然と相手の話に耳を傾けられます。「なるほど」と思うから、自然と「いいんじゃない?」と返せるように。「それは違う!」と頭ごなしに思いをぶつけていた頃よりも、ずっと楽しく、充実した時間を過ごしています。
良い生き方を子に孫に
勉強会に出席すると、時に、「もっと早くに分かっていたら…」と思うこともあります。神の教えは、触れれば“必ず”気付きが得られるもの。半面、教えを知らなければ、いつの間にか世の荒波に流されて、痛い思いをしたり、後悔したり…。そうしてやっと気付いた経験が、私にはたくさんあるからです。だからこそ、大切な子供たちや孫には、私がつかんだ生き方を残してあげたい。その思いを原動力に、これからも頑張ります。
「教え」を学び
我が心の姿を見詰めていようか
神が表す「教え」は
人との出会いを深め
支え合って「生きる」知恵
家族で教えを学び
互いに家庭で教えを生かすなら
自然と会話が深まり
相手(家族)を思う心(愛情)が
芽吹き始める
真の会話のある家庭に 人間は
「真実の愛」を感じ 受け止め
社会を「正道」へと導く人へと
成長してゆく
『真実の光・神示 平成29年版』36ページ(中略あり)