(山口県MH/70代男性/無職)
70歳を過ぎ、これまでを振り返って心に浮かんだのは…。自分が歩んできた人生は“正解”だった! そんな思いでした。
自我の強い私のはずが…
スーパーの店長時代は、数々のトラブルに追われ、どれほど苦慮したことか…。お客さまからのクレームには、立場もあり、“店側の非は認めたくない”。当然、対応がうまく進まず、葛藤の日々。そんな私が、教えを学ぶ中で、大切なことに気付けたのです。“相手の立場を考えて心を重ねるところに、人との縁は深まっていく”のだと。
明らかにお客さまの問題であっても、事情を聞いたり、時には家を訪ねて、精いっぱいできることで力を尽くしたり。その上でこちらの思いも伝えていくと、納得してもらえるように。学んでいても、いまひとつ理解できなかった教え…、その価値がようやく分かったのです。
他にも、身だしなみに問題のある社員には、良いところを認めて関わるうち、身なりをきちんと正して働けるようになったことも。トラブルも解決し、相手の心も変えてしまう。いつの頃からか、周りが「仏の店長」と呼んでいることを知りました。自我の強い私が、相手に寄り添い、穏やかに接することができたのは、神の教えがあったからに他なりません。
何の未練も残さずに
定年が近づいた頃、前立腺がんのステージⅡと判明。「何でこのタイミング!?」と思いましたが、不安な思いを神に預け、医師を信頼して臨んだ手術は成功。何事にものめり込む性格の私に、「無理はいけない」という神からの忠告と感じて、60歳の定年できっぱり退職へ。しかも、達成感にあふれ、社員から惜しまれて、何の未練も残りませんでした。
それからは、義父母の介護に。親子のように関わってきたことや、私の親を見てくれた妻への感謝と恩返しの気持ちがあったので、大変さはあっても、苦には思いませんでした。夫婦で声を掛け合い、支え合えた10年。二人を無事送れた時は、精いっぱい尽くせた思いしかありませんでした。
充実した日々をかみしめて
子供のいない私たちは、夫婦二人きりの生活となり、同じ血の流れを継ぐ、いとことの縁を大事に育んでいます。妻が通う陶芸教室に参加し、趣味の仲間との交流も増えて、実に充実した日々です。
先日、妻に言いました。「定年から11年たつけれど、素晴らしい年月だった!」。突然、何を言い出すのかと驚いたようですが、心からそう言えるのです。今までに出会った人たちを思い浮かべると、笑顔の人ばかり。がんも完治して、健康そのもの。退職した途端、人とのつながりをなくし、寂しい晩年を送る人もいる中で、私は全く逆。神の教えで生きると、多くの人に囲まれ、こんな仕合せな人生が歩めるのだと、大満足です。今後も、妻と教えを学び、仕合せをかみしめていきたいです。
妻より
夫から、定年後の月日が素晴らしかったと言われた時は、とにかく驚きました。過酷な日常でしたし、私の両親の介護で負担を掛けてしまった…と思っていたので。夫のひと言から、二人で心を重ねて乗り越えた“素晴らしい年月”だったのかと思えたら、うれしくて涙がこぼれました。どんなことも、感謝や喜びに変えてしまうのは、神の教えのありがたさ。これからも夫と学んで、心を高めながら、一日一日を大切に送っていきます。
「教え」を学び
真理で人生を歩みし人は皆
秋の時代(※)を迎えて 心迷わず
「真実」の仕合せな姿が見えている
今を「生きる」命(生命)は
豊かな心が身に付いた人にのみ悟れる
尊貴な時(時代)
今日までの体験 経験を
「人生」の悟りと返して
縁ある人に触れる
豊かな心の人であれ
(平成29年2月23日『真実の光・神示 増補版〈平成15年~令和3年〉』153ページ)
※秋の時代;年代に応じた生き方があることを、神は、人の一生を四季に例えて教えてくださいます。親の庇護(ひご)の下で生きる時を経て、迎えた15歳から30歳までの「春」は、人生の土台をつくるために、「素直、正直な心で生きる」年代。社会の中軸を担う30代から50代の「夏」は、「誠実な心で生きる」年代。60歳以降の「秋」は、多くの人を温かく包み込むような、「見守る心で生きる」年代。これを、神示では「秋の時代」と表されています。それぞれの年代を着実に重ねていくところに、人生の終日となる「冬」を、何の悔いも残さずに迎えられます。詳しくは、『生命の歩み』142ページで確認できます。