(福岡県OK/50代男性/郵便局員)
金銭面で言い争う両親の姿を見て育った私。「お金さえあれば困らない」という考えが身に付き、人と接するにも、がめつい感覚に陥りがちでした。相手の気持ちより、常に自分優先。やがて、友人が離れていって孤立。人に声を掛けるのが怖くなり、自分からは関わらなくなったのです。
生き方の間違いに気付いたら…
こんな生き方は違っている。何となく感じていたそのことが、神の教えを学ぶほど、明確に見えてきました。色、見栄(みえ)、金…人には欲があるものでも、過ぎれば人生を枯らしてしまう。まさに私のことでした。そして、自分が多くの支えの中で生かされている分、自分も周りの人を支える気持ちで関わっていく大切さ。そこに、喜びが返るということが、深く心に響いたのです。
それまでの私は、職場でも無口。しかも、面倒な配達を任されると、「何で自分ばっかり」とつい不満に思いがちでした。住所が間違っていたり、読み取れなかったりしたときは、個人情報に配慮しながら、「この家かな?」と思うお宅を訪ねて確認。とても手間がかかります。「大変」としか思わなかったこの仕事。それが、「自分にできることで、人のために」という気持ちで向き合ううちに、喜びを感じることが増えていったのです。
人を思って動けるように
よろよろとした宛名の文字から伝わってくる、一生懸命に書いた送り主の思い。「何としても届けてあげたい」という気持ちが自然と湧き上がります。自分の知識と経験を総動員して、無事に届けられると、それだけで胸がいっぱい。そんな心の変化は、自分でも驚きでした。
「仲間もスムーズに動けるように」という気持ちも膨らんで、みんなに声を掛けていきました。「この家は何時ごろならご在宅ですよ」「あそこの道は危ないから気を付けて」と。そのうちに、同僚も、いろいろな情報を教えてくれるようになりました。作業の仕方を聞いて助かることや、取り組む思いに触れて、ハッとすることも。良いところを早速まねるなどして、仕事はこれまで以上に順調。「何で私が…」と不服に感じていたのがうそのように、やりがいを味わっています。
触れ合いで心が明るく変化
最近は、家に帰ってから、職場の出来事を話したり、「きょうは忙しかった?」「疲れてない?」と尋ねたり、気遣ったり。会話などしてこなかった私から、両親に話し掛けています。たわいない会話でも心が温まり、不思議なほど穏やかな気持ちに。人との触れ合いで、心がこんなに明るくなるとは思ってもみませんでした。
勉強会で聞いた、「生きがいは、人との関わりの中でこそ味わえるもの」。それを感じられる日が来るなんて…。これからますます心豊かな生き方をして、人と触れ合う喜びを手にしたい。そう願っています。
「教え」を学び 「心」の軸とする
「教え」が皆の心(人生)を
悔いないもの(時代)へと導く
「教え」に生きるべし
人 物との出会いは深まり
心(人生)に
真に「生きる」喜びが味わえる
『真実の光・神示 令和2年版』25ページ(中略あり)