(佐賀県MT/50代女性/子育て支援員)
十字路を走行中、脇から来た車にノーブレーキで追突され、私の車は横に180度回転しながら畑に。首がガクッと左に倒れ、ぶつかった衝撃と恐怖で、体の震えが止まりませんでした。
救急搬送された病院で言われました。「3番目の骨が折れていたら、呼吸が止まっていたでしょう」。後部座席がぐちゃぐちゃになるほどの衝撃だったにもかかわらず、外傷は一つもなく、首の捻挫だけで済むなんて…。神のご守護に涙があふれました。
本気で生まれ変わろうと…
すぐさま、近くに住む娘に頼んで偉光会館へ。命を救っていただいた御礼を述べた後、見えてきたのは、常にパンク状態の自分の心でした。
事故に遭った日も、きょうのうちにあれも、これもと詰め込み、せかせかしながら運転していたのです。それは、ずっと以前から同じ。子供が話し掛けてきても待ちきれず、「それで何が聞きたいの? 先を話して」。「もういい。お母さんには話さない」と言われて会話が終了。夫との離婚の原因をたどれば、会話不足。ことごとく人生を悪い方へと導いたのは、私自身の“せかせか心”だったと気付いたのです。今こそ生まれ変わろう。本気で思いました。
ゆとりの心がブレーキを
結論を急がず、最後まで話を聞けるように…。ゆとりを祈願するにつれて芽生えたのは、心のブレーキでした。同じ職場で働く娘の話を聞くうち、やっぱり出てきました。「でもさー」という否定の心。しかし、一呼吸置けて、「そうね」と最後まで聞けたら、「そんなふうに考えていたんだ」。話の結論ではなく、相手の思いが分かった、初めての感覚でした。
息子との間でも驚いたのは、「こんなに話す子だったの?」。話さない子ではなく、私が遮って話せないだけだったのです。会話を重ねるうち、相手がイラッとする返答から、「そうなんだ」「それで」と優しく思いやりのある言葉へ。それだけで話が弾み、楽しく語らえるようになりました。
ことし結婚した息子に、本音を包み隠さず話せました。「私が失敗したのは、夫婦で語れなかったから。あなたたちは、何でも話し合って、末永く二人で寄り添って歩んでほしい」と。若い二人を見ていると、つい口を出したくなりますが、一呼吸置くと、「任せておこう」とゆったり見守る心に。お嫁さんが家に来て、「ここは自分の実家みたいに居心地が良くて…」と言われた時は、最高にうれしかったです。
穏やかで楽に生きられる心に
不安と恐怖に襲われた事故のフラッシュバックも、偉光会館に行って以来、うそのように心が晴れ上がりました。事故をきっかけに、心も、生き方も、別人と思うくらいに変化。「これはあしたでいいかも…」そんなゆとりも自然と出てきます。もう、せかせか人生はサヨナラ。批判も、否定も、見返りを求める気持ちもなくなると、こんなにも心が穏やかで、楽に過ごせるなんて…。自分を、我が家を根こそぎ救おうとされている神の愛を感じて、もっと心を磨いていきたいです。
神示「真理」に気付きを得て
祈願で実体を修正する
努力を欠いてはいけない
「教え」を学び
「真理」で家族と関わる
努力から始める
自然と 家族との会話が増えて
互いの思いは重なり
愛情が深くなる
ますます 不安に迷う思いは消えて
家庭が心潤う場(環境)と
なってゆく
『真実の光・神示 令和4年版』149ページ