No. 1537

“過ぎる心”が流れたら…
義兄の介護を夫婦で楽しく

(青森県TH/70代女性/主婦) 

ある朝のこと。「何も分からなくなってしまった。助けてくれ」。近くに住む義兄からの電話でした。奥さまは施設に入所していて、子供もなく一人暮らし。なのに、周りの心配をはねのけ、「一人で頑張る」と言い切っていただけに驚きました。 

何ができるかを夫婦で

脳に異常はなし。しかし、たった今のことを忘れてしまいます。一人暮らしは難しいと言われましたが、物忘れは行政支援の対象外。「これからお世話になるので」解約した預金を手にして頭を下げる義兄から、今後のことを託されたのです。 

「義兄のために何ができるだろう」。夫婦で話し合った結果、「安心して暮らしてもらうのが一番」との結論に。そのためにも、「神に心を預けて、共に人生を歩んでほしい」と話したところ、義兄夫婦の仕合せを願う思いが伝わったのか、即座に二人とも「明魂登録」。「助けて」の連絡から、わずか3日間の出来事です。 

自分を苦しめていたもの

夫婦で交代しながら義兄を訪ねる月日を重ねて半年後。義兄は、認知症と診断され、要介護1の認定を受けました。それからの1カ月、施設やケアマネジャーとの打合せが続いて、夫婦の会話も激減し、心も体も限界に。このままでは駄目になる…と、心にある思いを夫に打ち明けたのです。「分かったよ。全部言えた?」「もっと自分がやるから、君はこの家や自分のことをして」と優しく寄り添ってくれた夫。私は一人ではない! 夫と一緒に歩めばいいんだ! 気持ちが強くなれました。

たまたま目にした“神示”にハッとしました。「健康な心」「豊かな心」「感謝の心」がなかった。そして、「こうあるべき」という気持ちから、つい“やり過ぎ”てしまう私の欠点にも気付いたのです。大切な夫のお兄さんのために頑張らなくては…と自分を追い込み、責任を果たせるか不安になってしまう。以前、母から言われた「正義感が強過ぎ」の言葉がよぎりました。物事を四角四面に考えてやりきるだけが、ベストではない。○でも、△でもいいこともある。できないことは、夫に助けてもらえばいい。これくらいの幅広な気持ちで…と切り替えられたら、心も体もすーっと楽になったのです。 

うれしいことが次々と

デイサービス初日の義兄の第一声、「楽しかったよ!」。人との交流が少なかった人だけに、「やったー」と心の中で拍手したい気持ちでした。ぼーっとしていた表情も徐々にはっきりし、会話もちゃんとできるように。義兄が好きそうな服を買ったら、デイサービスで「おしゃれだね」と言われたそう。「きょう、褒められたんだよ」と、うれしそうに報告してくれるのが、何ともかわいく思いました。 

世間では、認知症になると怒りっぽくなるとも聞きますが、義兄はまるで逆。短気で頑固だったのに、素直で丸い心に。怖さや遠慮もなくなり、ただただいとおしくてなりません。周りから「大変だね」と言われても、「全く」という気持ちです。夫婦の会話も優しい言葉があふれて、「お父さん、お願い」が気軽に言えるようになりました。 

関わりたいと思われる人に

「こうあるべき」「こうしなきゃ」この心がどれだけ自分の首を絞めていたか。無理なく、等身大で過ごせる今の自分が、一番好きになりました。義兄夫婦も仕合せそうで、これも二人の心が神と一緒だからに違いありません。私たちも子供がいないので、いつか身内やいろいろな人に支えてもらう日が来るでしょう。その時に、世話をしたくなるような人柄でありたい。そんな姿を目指して、夫婦で心を磨き合っていこうと、二人で取り組んでいます。

「心(魂)」安らぐ環境に
    身(体)を寄せるところに
  人間は 生き抜く心(力)育まれ
   生きがい多い日々(人生)を
            歩んでゆける
和のある家庭 手にする極意は一つ
      神の教えを我が家に入れる
 家族それぞれ
  あるべき「心の姿」
      学び深めて 教えで生きる
時流れ 家庭の姿も変化してゆく
 なれど
   家族の心 共に重なり 深まり
     「心の道」に生き続けてゆく

『真実の光・神示 平成20年版』102ページ(中略あり)