No. 1509

“押し付け”をやめたら
感謝と愛が広がって

(大分県SY/60代女性/主婦) 

「ありがとうとか、愛してるとか、ないの?」 

今にも最期の時を迎えようとしている夫に、つい言ってしまったひと言。聞き取れないほど小さな声で「ありがと…」と返ってきたのは、30分も後でした。 

思いの強さに気付いて

「ありがと…」の後、「明日の朝、行くから」と言った夫。意識がもうろうとしているのかと思いましたが、翌朝、息を引き取り、本当に逝ってしまいました。最後の最後まで、自分の思いを押し付けてしまった。「自分ならこうするから、相手も同じようにするのが当然」。そうした思いの強さが私にはある。それを痛感したのは、何年もたってからです。 

娘の姿はかつての私

夫を玉納奉寿(葬儀)で送ってから6年。息子との関係は、険悪な状態でした。きちょうめんな娘からは、家事のやり方の違いから、何かと指摘が…。素直に「うん」とは言えず、心は責める思いでいっぱいに。そんな中、はたと気付いたのです。「娘の態度は、私が夫にしてきたこととそっくり」。 

「こうなってほしい」「こうあるべき」、そうした思いの強さから、相手にいちいち指摘し、自分の意見を押し付けてきました。夫は開業医だったので、息子は医者になるのが「当たり前」。子供の頃からレールを敷き、本人は文系に行きたいと言ったのに、理系に行かせました。医学部には入ったものの、結局留年を繰り返し、退学したのです。 

息子は、私が「これ食べたら?」と言うと、「成長期の子供じゃないんだから、いちいち言わないで」。「行ってらっしゃい」にまで、「言わないで」と返ってくる始末。15歳を過ぎたら、一人の人間として気持ちを尊重する。神の教えで学んでいたのに、全く意識せず、「それはダメよ」「こうしなきゃ」と、間違った関わりを続けていたのです。「ここから修正しよう」と決意しました。 

感謝の思いから次々変化

私の“押し付け”の根本にあったのは、「自分で何とかしよう」という思い。でも、思い返せば、どれほど多くの支えを頂いてきたことか。そして、みんなが同じ感覚で生きているわけではないことも、分かりました。 

すると、腰を痛めてしまった娘のためにお弁当を作るのも、「させてもらっている」。どんどん感謝が膨らんで、楽しいのです。何でもおおらかに見詰められるようになったら、いちいち言うことも減りました。「お母さんが変わったの、分かるよ」。そう言ってくれた息子は、「僕も変わったでしょ? 感謝が足りなかったことに気付いた」と、医療事務の仕事を頑張っています。 

やっと気付けた夫の愛

思えば、夫も似た者同士でした。スーパーまで車で送ってくれるときは、「駐車場でいい」と言っても、必ず入り口前まで行くのです。「他の人の邪魔になる」と言っても、入り口へ。「お前たちに一番便利なようにしてるのに、何が不満なんだ!」と怒っていました。あの時、「ありがとう。でも、次からは駐車場にしてほしいな」と、彼の思いを受け止め、優しく伝えていたら、きっと違ったでしょう。意地っ張り同士でした。 

亡くなる前、主人の手をずっと握っていました。体勢を変えてもらうために手を離すと、間違えて看護師さんの手をつかんでしまい、「違う」とばかりに振り払っていた夫。私が握ると、また落ち着いて…。もうあまり話せなくなっていた彼が表現できる、最高の「愛してる」だったと、ようやく気付けた私です。 

完成した内参道を歩きながら、自然と涙がこぼれました。そして、亡き夫に、「ありがとう。子供たちと仲良く暮らしているから、安心してね」。心から伝えられました。

「教え」に悟りを深めるほど
    人間は「実体」を磨き
           「正道」をゆく
 「心の道」を
   太く 強くつなぐ思いが芽吹き
    家族との正しい関わりが深まる
家族の姿を 仏・先祖に届けて
      信者の心は 安心 安泰
  「心の道」に
     家族の人生はつながってゆく

『真実の光・神示 令和3年版』103ページ(中略あり)