No. 1489

母を責める心が取れたら
なくなった「人を嫌う心」

(秋田県SA/50代女性/介護施設職員) 

私が子供の頃から両親は不仲。会話がないのが当たり前の家でした。父が亡くなった後、私は一人でアパートへ。兄家族と同居している母が来てくれても、やっぱり会話はありません。 

当時の私は、神の教えで生き方を改めようとしない母を見てはイライラ。「我が子の仕合せのために頑張るのが親なのに…」と憤っていたのです。 

初めて言えた「自分の本音」

しかし、神の教えを学ぶうち、「たった一人の親なのに、いら立つなんて悲しい」という心に。「有限の人生。お母さんと過ごす時間を、仕合せと感じられる自分になりたい」と本気で思い始めたのです。 

そんな時に学んだ、「子供は親に何でも話すこと」。それまでの私に、親に話すという選択肢は皆無。それが、素直に、「仕事でつらいときも、お母さんに話せばいいんだ」と思えたのが不思議でした。 

実際に話してみたら、母は、「そんなこと言われても…」と面食らった様子。でも、神は、私を後押ししてくれました。「お母さんに聞いてもらいたくて…」。初めて本音を言えたのです。 

たったひと言で、信じられないほど心が軽くなり、その後の食事のおいしかったこと。しかも、翌日、母から「きのうはごめんな」との言葉が。それからは、私の話をよく聞いてくれ、少しずつ会話が増えています。たわいないやりとりも楽しくて、自然と、母へのイライラも消えていきました。 

疑問の答えが見えた!

「どうして私の周りには、嫌な人が集まるんだろう」。ずっと抱えていた疑問の答えも見えました。私自身が、周りの人を責め、「嫌な人」と思い込んでいたのです。今、私の心からは、人に対して「嫌だな」という思いがなくなりました。たまに出ても、祈願すると、心が流れていくのを実感しています。 

視野が広がり、全く違う毎日に 

家族から家のことで愚痴を聞かされた時も、「ごめんね。今まで気持ちを分かってあげられなくて」。自然と出てきた本音の謝罪。以前のように、責める心が出ないのです。それ以来、私の言葉に安心したのか、愚痴は聞いていません。 

勤めている介護施設でも、「こうしてほしいのかな」と利用者さんの気持ちを考えられ、笑顔で触れられます。いつの間にか、「いてくれるとホッとする」「休みの日は寂しい」と言ってもらえるまでに変われた私。忙しさから、ゆとりをなくすことも減りました。 

人に対して、一日中イライラを募らせていたかつての自分。今、笑顔で優しく過ごせるようになり、その違いを味わう毎日です。どういう心で一日を終えるか。それが、次に生まれてくる時の自分の仕合せにもつながる重大事であることを心に留めて、人の心を大切にしていきます。

運命は
 家族との正しい関わりが持ててこそ
         磨かれ 人格に映る
 「教え」を学び
    「真理」で家族に触れる
            努力を重ねる
 自然と会話が増えて 深まり
    心(感情)も穏やかでいられる
 多くの人との出会いに
    「心(人生)」を支えられ
   生きがい多い人生を歩んでゆける

『真実の光・神示 令和2年版』65ページ(中略あり)