No. 1481

障害のある息子と共に
歩んできた仕合せな人生

(山形県SH/70代女性/主婦) 

「成人まで生きられない」と言われた息子の命。生まれて間もなく、コルネリア・デランゲ症候群という、あまり症例のない重度の障害が見つかったのです。そこからは、ただがむしゃらの日々だったように思います。この子が歩けるように、学校に通えるように…。夫婦で精いっぱい心を尽くす中、私たちはこの神に出会いました。 

がむしゃらのようでいて、心のどこかで先を心配していたのでしょうか。信者になって真っ先に感じたのは、安心感でした。とはいえ、言葉を話せない息子を前にすると、私の心は揺れました。落ち着かせるために力で押さえ付け、「さっきも言ったでしょ。駄目!」と言葉でも抑え付け…。良くないと分かっているのに、そうしてしまう自分が嫌でたまりませんでした。 

「息子の心」に思いをはせて

そんな私の心に深く残った一編の神示。「人は心に『愛』を求める」。言葉は話せなくても、息子にも「心」はある。「愛」を求めている…。「この子は、同じことをして私を困らせようとする」とイライラしていた心は、「私との会話を楽しみたいのかなあ」と感じるようになっていきました。そのように感じ方が変わっただけで、何だか息子がとてもいとおしく見えたのです。 

「お父さんもお母さんも、いつもあなたのこと考えているからね」「安心してね」と、心も言葉も変わっていました。その時に息子が見せてくれる笑顔は飛び切り愛らしくて、この笑顔を絶やさないようにしよう…と強く強く思ったものです。 

神が私たち家族に下さった喜び

20歳まで生きられないと言われた息子は、51歳。昔と変わらない笑顔を、今も私たちに見せてくれます。外を一緒に歩いていて、「うんうんうん」と首を振るときは、「あれは何?」のサイン。「おなかすいた?」と聞くと、息子はうなずきながら、時計の針が12時になるジェスチャーをします。言葉はないのに、心がちゃんと通じ合っている実感。息子は私に「心の交流の楽しさ」を教えてくれます。 

今は近くの障害者施設に入所していますが、息子が帰省する日は、夫も私も楽しみでなりません。私の胸に着けた教会徽章を見ると、手を合わせる息子。親子3人で偉光会館へ行くのも、仕合せな時間です。今が一番、息子の心がゆったり、のんびりしている気がして…。夫と共に、心から笑みが出てきます。 

この神に出会って37年。大変なことも、思いどおりにいかないことも、幾度となくありました。でも今、夫と二人で振り返ると何一つ後悔はなく、出てくる思いは「あの時、こうして良かったね」「たくさんの人に助けていただいたね」という喜びばかりなのです。信者として歩んできたからこそ味わえているこの人生に、心から感謝しております。

悔いなき人生 歩み抜くため
   「真理」で関わる家庭を築くこと
 これができれば
  自然と
   家族の運命実体(こころ)は
              重なり
       「和のある家庭」と成る
人間は
  神の手の中 運命を通し
    人生(こころ)守られ
            導かれている
この真実を知って
    神示「真理」を
       人生の支えに生きるべし
 思い 考え 動くこと全てが
     「運命」に導かれ
          成果を生んでゆく

『真実の光・神示 令和5年版』52ページ(中略あり)