先日、父が救急搬送され、入院しました。20年前に脳梗塞で倒れて以来の半身まひと、認知症のため、要介護5。母一人では、とても世話できません。長女で独身の私は、地元への転勤を願い出て実家に戻り、支えてきたのです。
私は、温厚な父とは仲良しでしたが、母とは不仲でした。とにかく怒りっぽく、自己中心的なのです。その母も、5年前から認知症を患い、以前にも増して怒ります。私と母はしょっちゅうバトル。そういう時に限って、父は体調を崩します。そのたびに、神の教えで心を軌道修正。父は、私の心の“バロメーター”だったのです。
自分の心を洗い出すと…
そのかいあってか、このところ、父の調子は絶好調。それだけに、今回の入院は衝撃でした。しかし、あらためて神の教えで気持ちを洗い出してみると、不満や不安など、マイナス方向に思いっ切り動く心があったのです。何より、母に対する消えない負の感情。これが白日の下にさらされたと思いました。
これまでも、それを軌道修正してきたつもりですが、うわべだけ。「ありがとう」も「ごめんなさい」も、心から母には言えない頑固さ。本気度が足りず、根本は何も変わっていませんでした。それを反省し、今こそ乗り越える時と、真剣に祈願していきました。
新たに見えた母の良さ
これまでとは次元の違う、深い反省心で母に触れていきました。すると、今までになく母の良いところがクローズアップされてきたのです。「みそ汁を作るよ」と言った時に、「入院中のお父さんに悪いじゃん」と思いやります。きれいな月を見ながら、「お父さんに見せてあげたい」。何度も何度も言っていました。認知症になっても変わらない、父を思う心。自分でも不思議なほど、母をいとおしく思えました。
考えてみれば、母は、普段から「変なこと言ってごめんねー」とおちゃらけ、誰とでも友達のように話す社交的なところがあります。植物を大切にめでるのも、私が子供の頃から…。昔も今も変わらない母の良さが、たくさんあったのです。
支える思いも大きく変化
ある時、母が「私は、家事も何もできなくなっちゃったから、役立たずでどうしようもない」と、寂しそうに言いました。「そんなことないよ。いてくれるだけで、いいんだよ」不思議と言葉が出て、2人で号泣しました。小さい時から、母には素直になれなかった私が、「ありがとう」も「ごめん」も、心から言えるようになったのです。
父は、予定より早く退院でき、何事もなかったかのような毎日に戻っています。母に強い口調で注意されても、動じないどころかうれしそうで、いつも「ママかわいい」「ママ天才」と褒めることしかしません。純粋な父は、母の表面的な言葉ではなく、心を感じている。目には見えない夫婦のつながりも、分かるようになりました。「2人が安心して過ごせる空気を私がつくっていこう」と、心を新たにしています。
「道」の真理に生きるなら 人は誰も 神の手の中導かれ 楽しい人生歩み抜ける
家族それぞれ 立場わきまえ 声掛け合って 生活すること
時代は流れ 立場は移り変わっても
家族の心重なり合って 心の道に生き続けるのである
介護――家族の心 支え 補い合って 心の負担は生まれない
いついつまでも 家族の心 神の手の中守られて 健康に暮らしてゆけるのである
「道」の真理に生きるなら
人は誰も 神の手の中導かれ
楽しい人生歩み抜ける
家族それぞれ 立場わきまえ
声掛け合って 生活すること
時代は流れ 立場は移り変わっても
家族の心重なり合って
心の道に生き続けるのである
介護――
家族の心 支え 補い合って
心の負担は生まれない
いついつまでも
家族の心 神の手の中守られて
健康に暮らしてゆけるのである
『真実の光・神示 平成19年版』111ページ(中略あり)