No. 945

つぶれる手前で踏ん張れた
神を頼って取り組んだこと
(千葉県AN/20代女性/事務員)

今春、部署異動しました。配属は総務課。幹部のお世話や郵便物の振り分けなど、何でも屋の部署で、多忙なのは覚悟していたつもりです。ただ、リウマチ持ちの私は体力がなく、おまけに上司が厳しくて、体と心の両方に負担がのしかかっていました。

常に、「無事に仕事を終えられるか」不安でした。道を一歩それたら、明暗の「暗」に転げ落ちそうな悪い予感。私は、5年前にうつ病を発症しています。それと同じ気持ちの暗さを、じわじわ感じ始めていたのです。そこにうすうす気付きつつ、「辞めたくない、続けたい」と踏ん張っていました。

「何をするか」より大事なのは

ついに、動悸(どうき)や手のしびれまで出始めました。今思えば神のご守護だったと思いますが、ちょうどそのタイミングで、母と偉光郷へ宿泊に行くことに。ご神前で祈願しながら、自分の心を見詰めました。その時、「何をするかよりも、どんな心でするかが大事」という神の教えが心をよぎりました。私は何でも進んでやるタイプ。でも、その心は「評価されたい」だったのです。神の教えを学ぶ理由も、何が何でも仕事を続けて、最終的に良い評価を得たいから。これが今の自分の「どんな心」の姿でした。

母ととことん話し合い、自分の体力に見合った仕事を探そうと決めました。上司に話すと、「以前から希望していた人事課に異動するのはどうだろう? 役員に交渉するから」と言われ、突き放すどころか、寄り添ってくださる姿に驚いてしまいました。

かけてくださる思いを感じる

その日の帰り道、上司がすぐ電話を下さり、「あなたの異動の話は、以前から役員の中で出ていたらしい。あなたは採用時から本当に頑張っていたので。今回のことは個人の都合ではなく、会社側が期待しての異動」とまで言ってくださったのです。

もともと私は真面目な性格で、仕事も、一瞬たりとも手を抜かず頑張ってきたつもりです。そうした部分を、自分では気付かないところで、皆さんが見てくださっていたと思うと、感謝しかありませんでした。異動の時には、「素晴らしい部下を持ててうれしかった」と、もったいないお言葉を掛けてくださる方もいたのです。教えで心を軌道修正した途端、神は、環境を巻き込んでこんなにも救ってくださるんだと偉大さを感じました。

神の力と、自分の努力の両輪で

異動して1カ月。「どんな心で」をいつも頭に置いています。まだ慣れることに必死ですが、「皆さんの負担が少しでも軽くなれば」という思いでできるのが仕合せで、これまでになかったやりがいを感じます。

「周りの方に喜んでもらえるように頑張りたい」と、努力の方向が変わったことが、何よりうれしいです。これからはもう、自分の力だけでどうにかしようとせず、心から神を信じ、頼っていきたいと思います。

――人は心で生きている――
 「心」を明るく 強くすれば 「体」も強く 健康でいられる
真の健康は 神の心に近づくほどに味わえる
 心安心感に包まれて 感謝の思いを深めるほどに 人はゆったりできる
 日々心穏やかに生きられるなれば
    人は誰も縁を深め 生きがい 喜び多い人生を歩んでゆける

――人は心で生きている――
 「心」を明るく 強くすれば
    「体」も強く 健康でいられる
真の健康は
    神の心に近づくほどに味わえる
 心安心感に包まれて
    感謝の思いを深めるほどに
        人はゆったりできる
 日々心穏やかに生きられるなれば
  人は誰も縁を深め
    生きがい 喜び多い人生を
        歩んでゆける

『真実の光・神示 平成17年版』82ページ(中略あり)